キャッチコピーに元気をもらう日
先日、図書館でキャッチコピー大全的なのを読んだ。その時にいいなと思ったのをメモっていたので、アウトプットとして感想と一緒に書き出そうと思う。
「一瞬も、一生も美しく」(資生堂)
美しさは一瞬のものか?人間は20歳を超えるとだんだんと衰えが出始める。人生100年時代といわれているこの世の中で、たった5分の1をすぎたあたりから衰えるのは、なんだか早すぎないだろうか。化粧を始めてまだ2年くらいしかたっていないのに、今度は老化を隠すような化粧を始める。美しくあれたのはたった2年だけなのか。そうではない。女性は一瞬だけ美しい生き物ではない。一生美しくあるべき生き物なのである。さあ、化粧を楽しもう。今度は一生美しくあるために。
「いろいろ奪うと、大人ができる。」
どこのかは忘れた。子どもにとって大人になるとは、今の自分に知識や経験などがプラスされて出来上がっていくものだと思っているだろう。しかし、大人に近づくにつれて間違っていると気づく。大人とは、子どものときの自分から甘ったれた態度、反抗心、自分だけの世界など、成長するにつれて必ずしも必要ではなくなった、多くのものが奪われてできているのである。確かに、この考えには、このキャッチコピーに出会うまで気づかないことだろう。確かに僕たちは様々なものを身に着けて大人になった。しかし、客観的にみると、いろいろとはがされていたのだ。強力な鎧をまとっていると思っていたら、初期装備の村人Aみたいになっていたのだ。
「仕事を聞かれて、会社名で答えるような奴には、負けない。」(リクルート)
これは学生に聞いてほしい言葉だと思う。今は大手企業に入ることが正解とは言えなくなったが、やはり依然として大手病が大半だろう。あの人に比べ、自分なんか地元の中小企業だと悲観的に考える人も少なからずいるだろう。そういう人こそこのキャッチこぽーにであってほしい。会社で人生は決まらない。誰でもできるようなろくな仕事もしてないやつが年収いくらだとか、○○で働いているとか自慢げに話すのを聞いて許せるだろうか。そんな奴らには負けない。年収とか会社名ではなく、自分がやっていることに誇りを持っている自分のほうが絶対にかっこいいから。
「生きろ。」(もののけ姫)
この言葉単品では響かないかもしれないが、この言葉を発した人や映画の情景、背景と合わさることで、途轍もなく強い言葉になる。言葉は長さではないということが伝わってくる。
「努力に即効性はない」
どこかは忘れた。これは誰もが理解できることだろう。この言葉を聞いて、努力を止めるのではなく、継続していくことが自分を変えるためには求められる。筋トレもそうだろう。腕立て10回して理想の身体になれない。何か月も、何年も継続することで努力は形になる。目標は高く、実効は一歩一歩ということだ。
人々は努力をする。なにか遠いものを目指して。ただし、その努力がすぐ実っても面白くない。道のりも楽しんでいける余裕を持てるようにしたい。
「考えよう、答はある。」
どこかは忘れた。確か俺ガイルというアニメでも平塚先生が同じことを言っていたような気がする。
「分からないか?ならもっと考えろ。計算しかできないなら計算し尽くせ。全部の答えを出して、消去法で一つずつ潰せ。残ったものが君の答えだ。」
人はすぐに答えを求める。学校教育がそうしてきたからだ。分からなければ大人が教えてくれる。だけどそれは小学校低学年までだ。僕たちは自分で考えて自分で答を見つけないといけない。もうそういう年齢だ。
考えて考えて考えて、もう考えが出ないくらいまで考えつくせば、最適解かは分からないが絶対に答は出る。たとえその答が正しくなくても、考えた過程は絶対に君のものになる。そう信じている。
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