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【落語・講談台本】逢魔が辻④

 翌朝。
 普段は滅法酒には強いはずの傷の男、昨夜はどうしたわけかしたたかに酔いまして、気を失うような倒れ方、かろうじて目を覚ませばげえげえ布団に吐き戻すといった具合で、責め苦のような一夜を過ごしました。
 しかし、あらかた吐き戻したのが功を奏したのかどうなのか、日が上がった頃には、話くらいは出来るようになっておりました。
 しかし、頭はいまだ割れるような痛さ、それ以上に背中の痛みがどうにもやまない。
 こんなことになったのも、手前がよかれと灸なんぞ据えてみたせい、申し訳ない、医者を呼んでくると、与吉が部屋を出るのを、女中に敷き直させた布団に横になりながら、見送りました。

 それからどのくらい経ったでしょうか。
 女中に案内されて、医者が一人、部屋に入って参ります。

「おい女中。与吉さん、どうした。戻ってきてねぇのか」
「はい。何でも、こんなことになったのも手前のせい、このまま宿を発つわけにはいかない、出立は日延べして、今日はここらで手早く商って薬代くらいは稼ぐことにする、ついでに少し買い付けもするかもしれないから、先生の案内を頼むと言い残して行かれました。数刻でお戻りになるとのことでしたが」
「そうか。それなら、いいんだがな」
「それじゃあの、先生、よろしくお願いします」
「ああわかった。お女中ご苦労だったな。何ぞあれば呼ぶから」
「はい。よろしくお願いをいたします」

「ここらじゃあんまり、見ねぇ顔だな」
「箱根に来てまだ日が浅いものでな。そなたがどのくらいここに居るかは知らんが、私を知らんのも無理はない。医者の顔なんぞというのは、それでなくとも具合の悪いものしか知らんものであろう。さ、見せてみろ。背中だったか」
「ああ。どうにもひりついておちおち寝られやしねぇ。よろしく頼まぁ」

「ああ。これはひどい。そなた一体何をなすった」
「昨夜ちっと具合が悪くなってな。相部屋んなった男に、灸を据えて貰ったんだ。何かまずかったのか」
「いや、灸が良くないと言うのではない。しかしこれは、いささか強すぎたのかも知れぬな。あちこち火ぶくれを起こしておる。皮が剥けておるところもあるようだし、なるほどこれは痛かろう。生兵法は怪我の元と申す。何かあったらまず医者を呼んでもらわねば」
「へっ。何かある度に医者呼べるような奴がな、こんなとこでくすぶってるわけねぇだろ。そういう御託は殿様やお大尽の屋敷でぬかしやがれ。で、どうなんだ。治るのか治らねえのか。兎に角、早いとこなんとかしてくれ」
「それだけ舌が回るなら、頭の方は心配要らぬようだな。火傷に効く膏薬を出してしんぜよう。今塗ってやる」

「がああああああああ!」
「おかしいな。そんなに痛むか?」
「てめぇ、何、塗りやがった」
「膏薬だと申しておろうが。しかしおかしい。これを一塗りすればたちどころに痛みはひいていくはずなんだが」
「どうにか、しやがれ。背が、焼けるようだ」
「今塗ったのはな、一級品の膏薬なのだぞ。私を呼びに来た御仁がな、金は幾らかかってもいいと言うから、いちばん効く薬を塗ったのだ。これより効く膏薬は今手元にはない。しかし、どうして逆にそれほど痛みが増す。こんなことになるのは初めて見た。もしやそなた、どこぞで、何ぞ人から、或いは死んだ者から、何か恨みでも買ってやしないか」
「てめぇは、医者だろ。俺ぁ拝み屋呼んだ覚えはねぇぞ。巫山戯たこと抜かすのも大概にしやがれ」
「しかしこれはあまりに」
「うるせぇっつってんだ。俺ぁ頭も痛えっつっただろ。あんまり大声出させんじゃねえ。
 で、何だ? 恨みだ? へっ。冗談じゃねぇ。どこの誰の何のことだか知らねぇがな、俺みてぇなのに騙される方が悪いんじゃねぇかよ。そんな間抜けを棚に上げて垂れ流す寝言泣き言にいちいち刺されてたんじゃな、こっちは身が持たねえんだ。
 祟りだ? 上等じゃねえかよ。恨んで出るだのなんだの。だったら何のために坊主が枕経あげんだよ。やっぱりあんな生臭坊主の経なんざ、何の役にも立たねえって、薄々思いながら手ぇ合わせてんのか。だいたい、人間なんてなぁな、還暦過ぎたら放っといたって死ぬんだ。往生するのと恨んでいくのと、何か違いでもあるってのか。死に方選べる連中のことなんざ、俺の知ったことか。どうせ死ぬとこ、俺の役に立って死んだんなら、功徳の一つも積めて結構なことじゃねえか。
 てめぇもな、自分の見立て違いを煙に巻こうってんならただじゃおかねぇぞ。高ぇ金とってんなら、さっさと効く薬だせ。それがてめぇの商売だろうが」
「…ほう」

「お客さま、先生、一体どうなさいました」
「ああご主人。何、こちらの御仁がな、薬がしみると騒がれましてな。なかなか手に入らぬ膏薬だというのに、これでは塗れぬ。いや困ったこと」
「てめぇこの藪医者まだそんなことを。ああもう良いから帰ってくれ。おい主、こいつを早いとこどっかやってくれ」
「痛みで少々取り乱しておるようだな。このまま放っておくのも良くない。ご主人。ちとそちらの肩口からな、口に布でも噛ませて、押さえて居てはくれぬか」
「はい。先生がそう仰るなら。でもよろしいんですか?」
「構わん。やってくれ」
「おい、何する。よせ。放せぐあああああああああああああああ」

「ようやく静かになったな。それでは私はこれで」
「はい。でも、あの、…これは、静かになったと言うよりも、気を失われているんじゃ」
「痛みが治まり寝ているだけだ。時期、目も覚まそう。心配は要らぬ。そちらが立て替えた見立て代と薬代は、先程私を呼びに来た御仁の宿代につけるがよかろう。そのように聞いておるでな。また何かあったら呼びなさい。では」

 夕刻。
 与吉が部屋に戻っても、傷の男はまだ目を覚ましておりませんでした。
 随分苦しんだと見えて、男が横たわる皺だらけの布団は、汗でびっしょりと湿っております。
 そこにそーっと近づき、やはり、冷たい目でしばらく見下ろしたかと思うと、そーっと離れ、襖を閉め、煙管をくゆらしながら。
「こいつは、どうにも、ならねぇな。早ぇとこ、済ますか」
 先程、医者が持って帰ったはずの、膏薬の壺を、弄んでおりました。

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