藤坂環

シマリスから名前を変えました。 翻訳文、書籍や映像の感想、考察、エッセイなど、ジャンルを問わず不定期に書いています。 無門関考察などもやりましたが、宗教関係者ではありません。 現在家族のための家事と料理をしながら暮らしています。

藤坂環

シマリスから名前を変えました。 翻訳文、書籍や映像の感想、考察、エッセイなど、ジャンルを問わず不定期に書いています。 無門関考察などもやりましたが、宗教関係者ではありません。 現在家族のための家事と料理をしながら暮らしています。

マガジン

  • 各種感想・考察文

    既存作品の感想や考察など。 作品の形態やジャンルはいろいろ。

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    各種文章の現代日本語訳です

  • エッセイ

    長いつぶやきのようなものです。

  • 自作品

    自作品を入れてあります。種類は様々。

  • 無門関・考察

    無門関の公案の、個人的な考察です。

最近の記事

『1984年』読後雑感

 病気のときには、摂取しない方がいい物がある。  肥満の間は高カロリーの食べ物は避けよう。  痩せが解消しないうちに脂肪燃焼を促進させるものを食べるのはやめた方がよさそうだ。  薬効を保つために泣く泣く諦めなければならない食べ物もある。  酒は薬か毒なのか。酩酊は罪か福音か。  小麦や卵や蕎麦に罪はない。苦しむ体が誤りなのでもない。  すべての物事には、正しい出会い方、正しいタイミングというものが、きっとあるのだ。  世界全体がどんよりと曇り、政治情勢が日に日にきな臭さを増

    • 【翻訳】『大人のための、子供の話』―或いは、23分間の奇跡―

       原文は、こちらを用いました。 https://www.arvindguptatoys.com/arvindgupta/tcs.pdf  作品が書かれたのが、1963年。日本で著作権法が改正されるより前に、著作権が切れているんじゃないかなあという目算で、訳してみることにしました。  もしも怒られたらすぐに削除します。 作者前書き  それは、ジェームズ・クラベルの日常の些細な出来事だった。学校から帰宅したばかりの幼い娘との会話――しかしそれが、静かで、破滅的な25分間に

      • 日テレ『24時間テレビ』は、新興宗教である

         日本テレビの24時間テレビは、新興宗教である。  教義は「愛は地球を救う」である。  今年は何故か「愛は地球を救うのか?」などとブレていたようだが、来年以降は、番組関係者は布教者の自覚と誇りを持って「救う」と言い切っていただきたいところである。 「来年以降? 来年もやるのあの番組?」などと思った方もおられるだろうか。  やるに決まっているだろう。「崇高な目的のために、心ない迫害に負けずに続けなければならない」てなもんである。どんなに悪し様に言われても、僅か1日でお布施が数

        • 白猫

           数年前、自宅の庭で飼っていた犬が死んだ。それ以降、うちの庭に猫が出入りすることが増えた。  野良猫のこともあれば、近所で飼われている猫のこともある。  一年ほど前に初めて見かけた白猫も、そんな猫たちの中の一匹だった。  頭からしっぽの先まで真っ白なその白猫を、一目見て私は、野良の白猫とは珍しいなと思った。  野良だと思った理由は五点。  首輪をしていないこと。痩せこけていること。薄汚れて毛づやが悪いこと。目つきが鋭いこと。そして、左後足に大きな怪我をしていたことだった。

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        記事

          内観を、軽い気持ちで試みたら、とんでもない爆弾が出てきた件

           私は、3歳でぬりかべを見たり、大叔母が野生のイタコモドキだったり、母が予知夢を見る人だったり、いろいろあったので、「科学で解明できないこと」が好きな人間です。勿論「科学で説明できるもの」も大好きですが、「科学で解明できそうなのに、できないふりをしているもの」「科学で解明できなさそうなのに、できるふりをしているもの」はそれほど好きではありません。他人に知られると面倒なので普段は内緒にしています。  何か困難に出くわしたとき、周囲や公的・民間機関に助けを求める感覚で、神仏に助

          内観を、軽い気持ちで試みたら、とんでもない爆弾が出てきた件

          大学の自己紹介コールの変遷

           大学入試に合格し、無事入学手続きを終えた学生が、まず行うことは何か。  シラバスを熟読することか。  履修項目を吟味選択することか。  否。  まず行うこと。それは、飲み会に出ることである。(暴論)  大学によっても、学部によっても、サークル主催か、学部の先輩方が主催なのかなどの、多少の差異はあると思うが、「旨いメシと酒で受験勉強の憂さをはらし、我が世の春を謳歌する」という基本スタイルは同じである。  最近は酒を無理強いする不届者も随分減っていると聞く。喜ばしいことである

          大学の自己紹介コールの変遷

          輪廻転生に関する仮説:なぜさっさと抜けるべきなのか

           宗派にもよるが、とりあえず仏教では、輪廻転生は「ある」とされている。 「生まれ変わり」と言えば何? と問われたとき、「松田聖子の記者会見」を思い出す人は、今は随分少なくなったろう。  郷ひろみとの破局会見で「生まれ変わったら一緒になろうねって、約束したんです」と涙声で語ったその僅か半年後に神田正輝と結婚した松田聖子の、一片の憂いもない満面の笑みを見たとき、やはりあのくらい面の皮が厚くなければ、トップアイドルにはなれないのだなあと、いっそすがすがしい思いがしたものである。

          輪廻転生に関する仮説:なぜさっさと抜けるべきなのか

          バラエティ番組のトーク台本が雑だった話

           80年代頃のお笑い番組の台本には、「○○コーナー:たけしのトークで客席爆笑」などという、たった1行のト書きが、平気で書かれていたそうである。出演者の実力次第で、番組の台本がペラ紙一枚に収まることも珍しくはなかったらしい。  まあ、こんな無茶な台本をあっさりクリアできるのは、一握りの天才だけであって、それに加えてコンプライアンスに何かと厳しい昨今は、ほぼすべての発言内容が、台本にきっちり書かれているのが普通である。らしい。知らんけど。  で、今回語る、「雑な台本」というのは

          バラエティ番組のトーク台本が雑だった話

          夢一夜

           こんな、夢を見た。  夏目漱石のパクりとか言って怒らないで下さい。  見たんだからしょうがないんだもん。でもごめんなさい。  長い間つきあっていた恋人との結婚がようやく実現に至った。  つきあい初めの頃の情熱は少しずつ薄れていき、何度も起こった諍いにも疲れ始めていた、そんな頃だったけれど、それでもプロポーズは、それまでの辛さがすべて消えてしまうほど嬉しかった。  父に報告をした。  低く唸ったなり、あまり良い反応を示さない父に、私は、彼の良さと、私が今どれほど幸せを感じ

          「~になります」は、言わせる方にも責任がある

          ■腹のたつ日もあるさ、人間だもの  お腹がすいたねとメシ屋に入って注文して、待つことしばし。  店員さんが持ってくる。そして。 「お待たせしました。マルゲリータピザになります」  お腹がすくとね、イライラしやすくなるわけですよ。  早く食べたいから、「ああ、はい」と聞き流しはしますが、 「なりますって何だ。何が、今、ここで、ピザになるんだっ」 「さっきまで皿に載ってたのは、小麦粉かっ。それともお前が小麦粉なのかっ。さてはお前、グルテン星人かあっ」  などとね、思ってしま

          「~になります」は、言わせる方にも責任がある

          ぬりかべ

          「霊を見た」「UFOを見た」「オーラが見える」「オバケが出たから収録に遅刻した」なんていう話を聞くたびに、まあ最後のビートたけしのボケはともかくとして、いわゆる霊感のない私は、「そりゃまた随分と特殊な能力をお持ちなんですねぇ」と、少々意地の悪い気持ちを抱くことが多い。  オカルトに限らずあらゆる分野において、私は、非日常的な物事に対する好奇心が若干強い質なので、本当は羨ましいと思う気持ちも数滴ほど混ざっているのかもしれない。  いい歳をして我ながら少々情けない。  そういう

          無門関第十九則「平常是道」補足

           無門関第十九則「平常是道」について、もう少し綴ります。  大筋は前回と同じ。そこから先の補足が今回の目的です。  現代語訳はこちら。  前回の考察はこちら。  いわゆる「平常心」と、「平常心」は、似てるようで違うらしい、ということを、前回書きました。  その際、このことがまあまあわかりやすくなる事例として、「魅力的な異性と出会ったとき」のケースを挙げたんですが、これは、禅の周辺の逸話として残っているものらしい。逸話というか、公案? 出典は知りません。  完全にうろ覚え

          無門関第十九則「平常是道」補足

          「ここは今から倫理です。」12話への雑感

           雨瀬シオリ著「ここは今から倫理です。」12話に出てきた、倫理問題について、あれこれ考えます。 ■問題文  問題文は、以下のとおり。 「あなたはとある夫婦の家の隣に住んでいる」 「そこの夫は妻に酷い暴力を振るう人で」 「ある日その妻が、ボロボロの姿で、助けを求め、飛び込んできた」 「その後、その夫もやってきた」 「『俺の妻がここに来なかったか』」 「・・・さて、この時貴方は妻を、隠し通すか、夫の元に帰すか」 「夫は『見つからなければ警察に届け出る』という。  このまま匿い

          「ここは今から倫理です。」12話への雑感

          ある手品の記憶

           子供の頃の話である。  私は居間で、母とふたりでテレビを見ていた。  番組のタイトルはもう思い出せない。  専業主婦向けの、午後の情報番組だったと思う。  その番組の終盤で、スタジオ内で作られた料理を出演者が味わっていた、という部分だけが、かろうじて記憶に残っている。連日行われていた企画なのか、その日限りだったのかはわからない。  一見、何の変哲もない料理企画。しかし、それは、通常の料理コーナーとは少々趣が違うものだった。  料理の作り手が、手品師だったのだ。  メニ

          ある手品の記憶

          無門関第五則「香厳上樹」異説

           無門関第五則 「香厳上樹」について、もう少し綴ります。  この則に関しては、大筋はあまり前回までと変わらないと思いますので、補足程度です。蛇足かも知れない。  ある一人の僧が、口で木の枝に噛みついてぶら下がっています。  手も足も、働かせていません。  随分苦しい姿勢のように思えますが。  これ、達磨の隠喩なのかな、と思ったわけです。  達磨は、座禅のしすぎで、両手両足が腐ってしまった人です。  手も足も働いてない。言葉で教えることもしない。  何となく、似てる気がして

          無門関第五則「香厳上樹」異説

          『猿の手』考察【追記あり】

           以前、『猿の手』の日本語訳を上げました。  原文の文法には忠実ではありませんが、誤訳はないと思いますし、日本語としてこなれた表現を心がけたつもりです。  短編です。よろしければお読みください。  今回は、この、『猿の手』の考察です。  ここからは具体的な内容に触れますので、未読の方はご注意を。 ■モリスはなぜ、猿の手を渡したのか  猿の手は、1人の人間の願いを3つだけ叶えます。  しかし、1つ願いを叶えるごとに、1つ代償を支払わせます。  その代償は、なかなか洒落にな

          『猿の手』考察【追記あり】