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【落語・講談台本】逢魔が辻⑦

 ある、晴れた日のことで、ございました。
 芦ノ湖のほとりのとある茶屋の縁台で、二人の男が、座っておりました。
 二人は斜向いに背を向けたまま座っておりまして、一人は富士を遠くに見やりながら、煙管をぷかーっと、ふかしております。

「万事、済みましたね」
「ああ」

 煙管から煙が白くたなびいては、消えてゆきます。

「小頭が、金とらずに仕掛なさると聞いたときには、どうなることかと気をもみましたが」
「俺が只で仕事するか。別口幾つかまとめて受けてたんだ。奴ぁあちこちで悪さしてやがったからな。中にゃ結構羽振りのいい店の主がいて、そいつが切餅六つばかり積んできたから、宿代船代差っ引いても、儲かった方だ」
「そうですか。じゃああの亭主の元に顔出すのが遅れたのは」
「なかなかすぐは思うような額にならなくてな」

「もっと早く顔出してりゃ、あそこのご新造、死なずに済んだんじゃねぇですかね」
「何か俺のやりように文句でもあるのか」
「いえ。ただ、あそこのご新造には義理があるんじゃあなかったんですか」
「だからあの亭主からはとらなかったじゃねえか。俺は捕方じゃない。だいたいな」

「へい」
「あそこにあの女房が沈んでるの、俺はとっくに知ってた」

「なんで助けて恩売らねぇんです」
「あの店がもっとでかけりゃそうしたかもな。そんなもん売ってもあの店からは大してとれねえだろ。
 だったら、女のいいようにさせてやるのも悪かねぇかと思った」
「ご新造の、ですか?」
「ああ」

 男は、煙草盆に吸いさしを落とすと、新しく詰め直し、火口で火をつけ。
 ぷかーっと、ふかし。

「俺は、何度かあの女房を、買ったことがある。
 どうしてこんなとこに居る羽目になったのか、知りたくてな。
 あの女房は、亭主じゃなくて、奴を待ってた。亭主にもらったもんじゃなく、奴からもらった簪つけて。
 俺が見たものと、亭主に言ったらしいことと、どちらが本当だったのか知らない。本人に確かめたわけじゃない。だが俺はそのまま放っておこうと思った。それだけのことだ」

「それならそれで、亭主にわざわざ只で仇討売らなくても」
「俺は、受けた恩は返すことにしてる。結局女房が死んで返せなかったから、代わりに亭主に返した」
「そりゃ、まあ」
「それに、俺は少し興味があった」
「何にです」

「あの堅物が服着て歩いてるような亭主が、女房が死んだのは自分のせいだと泣いていた男が、金を盗んで女房を連れ去った男を仇敵として討ってやると俺から言われたとき、どんな顔をするのか。
 仇討が成ったと判ったら、どんな顔をし、何を言うのか。
 それを見たくて、俺は、あの亭主に仇討を只で売り、済んだとあの簪持って伝えに行ったんだ」

「何て、言ったんですか」
「それは俺が知ってればいい」

「女房が喉突いた簪なんて、つらいでしょうに」
「そんなにお前は俺のやることが気に入らねえか」
「いえ。そうじゃねぇです」
「じゃ何だ。事と次第によっちゃ」
「あのご新造に死なれた怒りで、小頭があの男を、商売抜きで殺したがっていたのかと、思ったもんですから、その、すみません」
「お前、俺をバカにしてんのか」
「いえそんな」
「まあ、殺してやろうかと何度か思ったのは確かだがな。だがそれは、あの男が気にくわねぇからだよ。どのみち俺は、売り買いでしか動かん」

 ふーっと、煙を吐き出し、煙草盆に吸いさしを落とし。

「亭主は飾り職人だったろ。
 毎日亭主を恋しがって泣き暮らすおかみさんに『もう一度こっそり盗みに行って簪を一本取ってきた』と言って男が渡したようだ、おかみさんはこの簪を、自分の亭主が作ったものだとずっと信じてさしていた、と言って亭主に渡してやった。あの亭主、それでやっと、泣けたみたいだった」

「あの簪、そうだったんですか?」
「嘘に決まってるだろ。そんなわけねえじゃねえか」
「何でそんなこと言ったんです」
「嘘を信じていねぇと、人は生きられねえからだよ」
「随分とお優しいことで」
「淹れてくれた茶の礼だ」


「あの男…」
「ああ」
「あんな顔だったんですね」
「そうだな」
「あんなに大きな傷でしたか」
「さあ」
「さあ、って」
「納得いかねぇなら頭に訊け」
「会ったことありませんよ。ほんとにいるんですか」
「知りたきゃもっと稼げ」
「へぇい」

「俺は、約束は守る。受けた恩は返す。それだけだ」
「へい」


 江戸と箱根の逢魔が辻。これにて幕と致します。

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