無門関第四十六則「竿頭進歩」現代語訳

公案現代語訳

本則
 石霜和尚は言った。
「百尺の竿の先から、いかに歩を進めるか」
 また、古徳は言った。
「百尺の竿の先に座る人は、悟りに至ったとはいえ、いまだ真の悟りには至らない。百尺の竿の先から、わずかに歩を進めることができれば、十方世界がその身に現れるだろう」

評唱
 歩を進め、身を翻すことが出来れば、世界のすべてが素晴らしく尊く思えるようになるだろう。
 とはいえ、言ってみろ。
 百尺の竿の先から、どう歩を進める?


 頂の門に目が眩んでつぶれ
 定盤星を見誤る
 身を躍らせて命を捨てられれば
 一人の盲人が多くの盲人を引き連れる


注釈
 定盤星というのは、以前の公案でも登場しました。
 秤の起点部分につけられた星形の印のことです。
 石霜と呼ばれる和尚は、禅の系譜には二人ほどいるようなのですが、今回登場したのがそのどちらなのかは、公案の内容そのものには余り関係がないように感じたので、調べずに進めます。
 古徳に関しても同様。
 長沙景岑という名の和尚さんだそうです。

 中国語では「百」という語には、文字通り「one hundred」という意味だけでなく、「数え切れないほど多い」というような意味もあります。
 したがって例えば「百年」という語には、「100年」という意味以上に、「永遠」という意味があるのだそうです。
 アヘン戦争で負けた清がイギリスに香港を植民地として差し出した際、その期間が「99年」とされたのも、当初の予定であった「100年」に、「永遠」の意味を読み取った清が難色を示したためとも、そんな清にイギリスが配慮したためとも言われているそうな。
「百尺」にも、そんな「気が遠くなるほどの長さ」というような意味がありそうです。これは前にもどこかで書いたような気もしますね。

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