やっぱり宮崎じゃった
自分の故郷、hometown、はどこなのかなとあらためて考える機会が今日ありました。ほとんどの方は生まれた町、育った町、帰る町、を故郷と呼ぶのではないでしょうか、でも私はそれぞれ違う町がその場にあてはまります。
わたしの生誕の地は宮崎でしたが、実際そこに住んだのは小学校3年生くらいまでで、そのあとは宮崎県内の違う市で高校卒業まで過ごしたのでいわゆる”成長の場”は県南部の小さな町。そのあとは東京の大学へ進学して、それ以降は海外のあっちこっちです。親戚一同はまだ宮崎におりますが、両親は私が中学3年時に鹿児島市に引っ越しており、それ以来帰省する“故郷”は鹿児島市です。鹿児島に親戚はおりませんので”帰る故郷”は両親だけですし、そこで育ってもいないので友人もおりません。
それでも鹿児島は両親が現在も住んでいることから、私がまず hometownと思い浮かべるのは桜島がでーんと構える錦江湾を望む風景です。
それに付随して火山灰が舞う道路や、路面電車、鹿児島のおいしいものが思い出されます。
つけあげ(さつまあげ)、シロクマ、奄美鶏飯、ボンタンアメ、豚骨ラーメン、黒豚のとんかつやしゃぶしゃぶ
そんな “帰省した時に食べたいもの” が私の中の鹿児島という故郷です。
なのですが、本日アルフィーの配信番組Come On ALFEE の最終回にて、九州のイベンターさんが送ってきた九州各地の美味しいものーー大分のザビエルや長崎のカラスミ、佐賀の佐賀錦をアルフィーの3人が美味しそうに食べているの見て
自分の故郷は九州(全域)だなぁ
との思いまでわいてきました。正直に言うと宮崎・鹿児島以外の県はさほど思い入れもなく、いわゆる“他県”との認識なのですが、アルフィーさんが熊本の陣太鼓を美味しいね!と言えば、福岡の明太子を美味しいね!と言えば、私まで誇らしい気持ちになるのです。今までもそれと一緒で九州のどこの良い話を聞いても誇らしい気持ちになっていましたし、九州の方言を話す方に会えばそれだけで親近感を覚えていました。
しかしながら彼らに宮崎から送られた きんかんたまたま・・・・その丸々とした小さな太陽のようなキンカンが小さくカットされてあるのを見た時に
“まるごと食べんね!” と言いたくなった自分はやはり宮崎人だと確信しました。
たかだかキンカンなのですが、幼少時には祖父母の庭になっていた、そして大きくなってからは母が甘く煮ていたきんかんが周りの風景や匂い、会話する声や方言とともに懐かしく思い出されます。(うちのキンカンの話はこちら)
さらには駄目押しでその後にあった高見沢さんのラジオ番組・ロックばん(radikoで聴けますよ)の、最後の方で高見沢さんが 宮崎あるあるを話され、それと共にチキン南蛮、肉巻きおにぎりや冷汁などの美味しいものや青島の鬼の洗濯岩などが紹介されると、自然に笑みがもれちょっと涙が出るほど懐かしさがこみあげてきました。
まさにホームシック、の感情はその後のツイッター上のお友達とのやりとりで助長され、忘れていたあらゆる出来事や風景が頭の中でぐるんぐるんしています。
高見沢さんが読まれた宮崎あるあるはこのようなものでした。
県木のフェニックスを“ヤシの木”と呼んでほしくない(そうそう、違うとよ)
時間にルーズ(日向時間ちいうと)
運動会で赤組ではなく、赤団・白団という(じゃった)
唐揚げは買わずに必ず家で作る(買う人はおらんよ)
炭酸飲料といえば スコール(宮崎しかないと?)
陸の孤島と呼ばれている(台風が来たらおしまい)
ツイッター上でのお友達とのやりとりで思い出したのはこんなこと
青島のこどもの国でラクダにのって、小さい家であそんで
駐車場で棒に刺した冷やしパインを買って
青島ういろうを買って
おぐらでチキン南蛮を食べて
それ以外にも思いを巡らすのは
ブーゲンビリアが家の垣根を彩り
美しい海を見ながらの日南海岸ドライブ
ばあちゃんちでカライモ餅とあくまきを食べて
甘い飫肥天を夕食に出されて
日が沈むと町は真っ暗で、星がたくさん見えて
子供のころの思い出もここですでに綴っていました
他の土地ではこんなにホームシックにならない、次々と映像は浮かんでこない、食べたら涙が出るようなものはない・・・そんな理由でアルフィーさんをきっかけにまぁうすうすわかってはいましたが(笑)、
本日付で自分のhometownを宮崎と決定いたしました。
Miyazaki is my hometown! My hometown is Miyazaki!
ロックばんで高見沢さんが “宮崎県をもっとよく知る1週間をお過ごしください” と言ってましたので、皆様も宮崎県のこと、ちょっと調べてみてください笑。
気候も人間も暖かくて素敵なところです。ほんとです。
シマフィー
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アルフィーさんへの募る想いはこちら笑