パン屋と教師
時々冗談混じりで夫に言う。退職したら半分はバージニアあたりの山の中、半分は宮崎の海のそばに住もう。(*アメリカ東在住です)
アメリカ人の夫は奈良に6年住んでいたが九州を訪れたのは結婚前に私の鹿児島の実家と、宮崎の叔母を訪ねたのが初めてだったと思う。そしてその後一度また鹿児島に来たきりでそれ以降は機会がなかった。
鹿児島に来たときには桜島の噴火にビクビクしており、鹿児島に住むのは絶対に嫌だと言っていた。
”日本に住むなら地震がないところ”とおどおどしながら懇願するが、日本で地震がないところがあるのだろうか?
先日、宮崎で大きな地震があったと聞いた時、まず思ったのは ”夫がこのニュースを見てないと良いな”だった。というのも、私が老後を宮崎で!!と推している理由で、綺麗な海・安い物価・楽しい県民・地震が少ないことを全面に出しており、それが崩れてはならぬからだ。
これ以上宮崎で、というか日本で、地震の被害がありませんように!!
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私が宮崎でのんびり過ごしたい理由は、ここが生まれた土地であり弟が住んでいるからというのも大きい。
弟と私は両親の離婚を機にバラバラに育つことになり、それ以来の子供時代は特に行き来がなかった。別に訪ねあってもよかっただろうが、子供がひょろっと訪ねられる距離ではなく、何となく”別の家の子”になってしまいお互い連絡を取ることもなかった。
大人になって随分経ってからやっとネットの普及のおかげで遠くからでも電話やメッセージが出来ている。
パンデミック直前に何年かぶりに帰国した時、結婚してまた国外に住居を移してからはSNSでなんとか繋がっている弟に会いに宮崎に向かった。
利用客で賑やかな割と大きな駅を出発した汽車は、ゴトゴトと、無人の駅へと向かう。
子供の頃から全く変わっていないような、小さな2両編成の汽車に揺られて向かう先にいる彼にはもう長年連れ添っている奥さんも大きな子供もいる。
小さかった弟はもうおっさんだ。
一緒に神社を散策し、夜は何を食べようかと考えた時にふと思ったのは弟は何が好きなのだろうか、ということ。
私は彼の好物さえ知らない。彼も同じだろう、私のことは知らない。
どんな音楽を聴いているのか、何の車に乗っているのか、大学で何を専攻したのか、何も知らない。
神社から海岸の波状岩までの二分、真剣に思う。
血のつながった弟なのに容姿以外に似ている所はあるのだろうか?
優しいのと厳しいの
動くのと動かないの
人気者と人見知り
情に厚いのと猜疑の塊
(どれも後者が私)
私たちは正反対のところにある。
弟は生まれ育った町にずっとずっと住み続けている。
私は二十歳で日本を出てからはずっと海外を転々としてきた。
彼の馴染みの店でメニューを広げてまた悩む。私はコレとアレが好きだ。でも弟が好きなものを頼んであげよう。
“シマちゃん、俺、ここ来たら必ずコレとアレ食べるよ”
と差したパスタとピザは私と同じコレとアレ、だった。
その時、バカバカしい程の小さな共通点に安堵して再度考える。
何億年の年月に作られた波状岩に打つ一瞬の波
小さな神社の神様と地元の年寄りが作った小さなカメの土産物
気の抜けたビールとすぐに飲み干されたコーラ
パン屋と教師
似てないけれど、似ているじゃないか。
シマフィー
*以前書いたエッセイにちょいちょい書き足して再掲載しています。
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