見出し画像

食べられない人の気持ち

テレビのドキュメンタリーとかでたまに見かける、ご飯がうまく食べられなくなっちゃう人たち。…いわゆる拒食症の人たちの経験談を耳にしたとき、「なんでこんなことになっちゃうの?」「いやお腹減ったら食べちゃうでしょ」って思う人がほとんどだと思う。

でも、私は食べられない人の気持ちが少しだけ分かる。

私も陥りかけていたときがあったから。

-------------------------------------------

私は高校生のときに受験勉強を頑張って頑張って、幸運にもダメ元で受けた大学に受かった。自分の持っているものを全部使って、本当にいろいろな偶然が重なって。普通だったら落ちてたと思う。

そこで私は初めての一人暮らしをして、帰宅時間を気にしないで良い自由な友達との交流、サークルの飲み会、恋愛を経験して、楽しくて仕方なかった。

たぶん欲張りな性格だから、楽しいことは諦めたくなかった。誘われた飲み会は絶対に行っていたし、女の子だけで集まって騒ぐのも大好きだった。

でも、学力で言うともともと実力以上の場所に身を置いているんだから、ガリ勉するならまだしも、遊び惚けて学業をおろそかにしていて授業についていけるはずがない。

だけど親に学費を出してもらっているくせに留年するなんて、考えられなかった。親に「ダメな子だ」と思われたくない、という強迫観念もあったように思う。だからどっちも頑張った。私はどっちも欲しかった。

疲れ果てながら遊びと勉強の両輪を必死に回し続ける毎日のなかで、ふと同じ学部の友達を見ると、グループの女子はみんな完璧な女の子ばかりだった。

可愛くて、優しくて、頭が良くて、女子力が高くて、お昼は毎日手作りのお弁当を持ってきている。本当に完璧。

教科書だって一度見ただけで覚えることができる子もいたし、私が訳わかんなかった授業内容も一度聞いただけですべて理解し、その上で疑問に感じたことを数人で質問し合ったりしていた。全然ついていけない。

テスト前なんて地獄だった。みんなで一緒に勉強していても、1人だけ分かってないから、大事そうな話になってみんなが夢中になればなるほどついていけない。

別にわざと仲間外れにしているわけではない。能力が低いから仲間に入れないのだ。家で1人で必死に勉強して初めて、あぁ、あのときみんなが言ってたのはこのことか、と気づくときの絶望感たるや。

今思うとかなりハイスペックな人たちが集まっていたから仕方ないと思うんだけど、当時の私にとってはその子たちが世界のすべてだったから、本当に苦しかった。気づいたときにはもう、真っ黒な劣等感の塊になっていた。

すべてにおいて自分より秀でた人しかいない世界で、ふいに芽生えた劣等感はどんどん純度を増していき、私の自己肯定感はほぼゼロになった。

だって、見た目も可愛いのに頭も良くて性格まで良いってみんなすごすぎない?私ってなんなん?生きてる意味なくない?ないよね?ないない。

そんなときだ。

こんなダメな私にもできること。それが食事制限だった。

最初は、なんだかちょっと太ってきたし、目標を決めて我慢してみようか。そんな軽い気持ちだった。

勉強はできなくても、飲み会でうまく楽しいことが言えなくても、ご飯を食べずにいることはできる。

自分で決めたことを私はちゃんと守ってクリアしてる。

「今日もちゃんと守れた。」その充実感がいつの間にか私の生きる意味になっていた。

痩せて周りの友達に「え!しまちゃん痩せた?どうやって痩せたん?めっちゃ羨ましいー!いいなぁ。」と褒められるのもすごく嬉しかった。

そうやって私のなかで決めた<1日に食べても良い量>はどんどん減っていき、

最終的に朝はカロリーメイト1本、お昼はおにぎり1つ、夜ご飯は寒天と練り製品か豆腐だけ(ちくわやはんぺんってめちゃめちゃカロリー低いの)という生活が続いた。

どうしてもお腹がすいたら、甘い缶コーヒーを飲んで血糖値を上げて、空腹感を紛らわしていた。

お酒やおつまみはカロリーが高すぎるから、誘われる飲み会はいろんな理由をつけて全部断って、女友達と好きだった可愛いカフェでご飯を食べることもなくなった。

大好きだったオムライスやケーキなんて、「え?あれを食べる?考えられない!あんなカロリーお化け!恐ろしい!」とまで思っていた。大体の食べ物はカロリーが頭に入ってて、食べ物を見ると無意識にカロリー計算してしまうんだから今思うともう普通じゃない。

ずっとこんな生活を続けていたら徐々に体がおかしくなってきた。

空腹すぎて空腹感がないのだ。空腹感も満腹感もない。とにかくずっとお腹が気持ち悪い。

お腹がすきすぎて気持ち悪いのに、自分がお腹すいてるかも気づけない状態。

そしてろくに食物繊維を摂取してないから、いつもひどい便秘だった。そもそも食べてないから便秘でもお腹はぺちゃんこなんだけど。

今思うとこれ以上ないくらい不健康で、ずっと体調が悪かった。全然幸せじゃない。今はあんなことして自分を痛めつけてた自分が馬鹿だなぁと思うけど、渦中にいると病みすぎてて気づけないんだよね。

そんななか、実家に帰省したときに親が心配してやたらとご飯を食べさせようとしてくる(みるみる痩せていく娘をみたら誰だって心配する笑)からそれが苦痛で仕方なく、帰省する日数をできるだけ短くしたりしていたんだけど、今でも忘れられない出来事が起こった。

それはあるときの帰省中。
母が私を元気づけようと、私が小さいころに好きだったケーキ屋さんに連れていってくれた。これなら食べる気になってくれのでは、と思ったのだろう。

でも私は前述したような状態だから、まぁケーキなんてハイカロリーなものを食べる訳がない。

ね、久しぶりに店内で食べようよ、と声をかけられながら、ケーキのショーケースを前に私は「いらない。私どうしても食べたくないから。お母さん好きなの頼んだらいいよ。私は飲み物だけ飲むね。」と言い放った。母は一瞬すごく悲しそうな顔をして、そのあとひきつった笑顔で「そう?わかった。私はこれにしようかなー?」と頼んで席につく。

数分後、選んだケーキの周りをフルーツや生クリーム、チョコレートソースで綺麗にデコレーションされた一皿が母の前に置かれた。私の前には紅茶だけ。

「ねぇ、○○ちゃん。本当にいらないの?一口だけでも食べない?おいしそうだよ、ほら。」と母はまた勧めてきた。

正直いうと断りまくるのがまじで心から申し訳ない…!でも、でも。絶対に食べたくない…!

ぐるぐるした葛藤の中で「それじゃ少しだけ」と私はデコレーションの生クリームを指に1杯だけすくって舐めて、「本当だ、おいしいね」と笑って見せた。

反応がないのを不思議に思って母の顔をみると、お母さんはこれまで私が見たことがないくらい悲しい顔をしていた。今にも泣きだしそうな顔。

そのとき、やっぱり自分はおかしいのだと強く実感した。

だって私を愛してくれている大切な人をこんなに悲しませてる。

それをきっかけに少しずつ変わっていった。実際のところ、きっかけはこれだけじゃない。いろいろと重なっていい方向に向かっていったから、あのときの私は本当にラッキーだったと思う。

あのままストイックに拒食の道を突き進んでいたら、もしかしたら私も骨ばった身体で「食べられないんです」とテレビに出ていたかもしれない。

テレビの彼女たちは、あの頃の私だ。

だからテレビの特集を見るたびに胸が苦しくなる。

分かるよ、つらいよね。
でもどうしても食べられないんだよね。

---------------------------------------

中学の同級生が、数年前に拒食症でこの世を去った。

私の思い出のなかでは、いつも自信満々で豪快に笑う、男勝りな女の子だった。

中学を卒業してから全く連絡をとっていなくて、彼女がどういう環境に居たのか知らないのだが、人づてに聞いた話では、見た目のことで周りにからかわれたのをきっかけにうまく食事をとれなくなったのだとか。

拒食はやっぱり劣等感や自己肯定感の低さから生まれるのだろう。

誰か私を認めてほしい。生きてても良いって思わせてほしい。

そう、すごく生きたいのだ。生きたいのに、食べ物を食べられない、という一見矛盾した行動。死にたくてそんなことしてるわけじゃない。

亡くなる前日、入院している精神病院の部屋で、その子は母親に「明日は食べられる気がする」と弱々しく微笑んでいたらしい、と後日知り合いから聞いた。彼女は最後まで生きようとしていた。

次の日、看護師さんの見ていない隙に。母親が面会にくる前に。
彼女はナースコールのヒモで自分の首をくくり、突然この世から旅立ってしまった。たった1人で。

その子のことを想うたび、どうしようもなく悲しい気持ちになる。

私だってそうなってもおかしくなかった。

どうか、これ以上拒食で苦しむ女の子が増えませんように。

自ら命を絶つようなことがありませんように。

同じように苦しんでる人がたくさんいるよ。自分だけ責めないで。

自分の存在意義を「食べない」ことに見出しちゃだめ。

もっと自由に生きて。一緒に生きよう。

そう、心から思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?