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母と家族のHSPについて話した日のこと

実家に帰省するときは、だいたいいつも立ち寄るお寺があるんですが、それなりに有名で、きちんと観光地化しているから、毎年たくさんの人が参拝に来ています。お寺周辺は城下町で、なかなかお洒落なカフェや飲食店が立ち並んでいてとても居心地が良い雰囲気。

その日、母親と話したのもそのお寺の近くで、割とたくさんの人が入れる広めのカフェで、コーヒーとモンブランを頼んで一息ついて、母は私の携帯電話の画面をゆっくり読んでいる。

私が渡した携帯の画面から顔を上げると、母はありがとう、とだけ言って私に携帯を寄越した。

(めっちゃ考えてる〜。わたしもこれ知ったとき結構衝撃だったもんな)

「妹は多分これだと思う」と言って、私は【HSPとは】と説明されたサイトを母に見せたけど、まぁ何となく、母にも思い当たる節があるせいか、そのあとも、なんだかじっくり考え込んだ感じになってしまった。

▼妹の説明をちょっとだけ

3個下の妹は、わたしからするに、めちゃめちゃおもしろい。(モノマネ選手権か、細かすぎて伝わらない〇〇みたいなのに出る気があるならぜひ出てもらっておもしろさを知って欲しい)

家族でテレビを見てるときに、不意に周りがどかっと笑うような一言を発することのできる独特の視点があったり、猫の動画を見ながら目尻が下がっていると思えばテレビに映る芸能人を、私この人無理、と一掃するようなところもある、見てても一緒にいても飽きない存在だった。

一方で、たぶんものすごい繊細で、ときにそれは自分のコントロールのできないような、周りの音や人の多さや、道端の誰かが落としたキーホルダーにまで感情移入してしまうところがあった。

自分を自分でコントロールできないことは、きっとすごく辛くて悲しいから、妹が中退したことや、家出をしたこと、結婚間近に彼氏と別れた事、その他書ききれないような驚きの連続!みたいな出来事がたくさん今日までにあって、その背景には、多分、人との違いをグサグサと感じていて、責めなくてもいいのに自分を責める気持ちが根強く付いてしまったんじゃないかと思っている。

▼母のことをちょっと

母もまた、妹に負けずおもしろい。この前わたしのアパートに荷物を送ってと頼んだら、登山シューズの両脚に、350mlの缶のバドワイザーとハイボールを入れて寄越してきたので、お礼と写メを送ったら「隙間は無駄にしません」って返ってきたり、ダンボールいっぱいにりんごを送ってくれたときには、小学生が下駄箱に貼るようなネームシールに「つがる」とか「サン」とかリンゴの品種を書いてくれてあったりした。絶対ウケ狙いだけど、ユーモアがあって、いくつになっても子どもみたいなところがある。

母は、理系の人だけどめちゃめちゃ感情移入する。ドラマでボロボロ泣くし、殺人事件が起きましたみたいな嫌なニュースが流れると、それが人事ではないように、家族中に、気をつけなさいねと言いながら、犯人を忌み嫌う感じが全身から溢れ出るような、人間らしいところがある。

▼2人とわたしのこと

わたしはふたりが分断して欲しくなくて間に入ることが多かったんだけど、なんだかそれがいつぞや使命のようになっていた。妹は母に心を開こうとしないのだが、母は理解不能な行動をする妹が心配で目が離せない。見えない鎖か何かで縛られているようで、なかなか分かり合えていかなかったんだけど、そもそも、妹の素質がHSPのようなものだとしたら、もうそうやって生まれたんだからさ!って少しずつでも、私も母も妹を理解できるのかもしれないと思っている。それでこの日も母に打ち明けてみたのだった。

▼わたしのこと

わたしは人間観察をしてしまうところがあって、物心ついた時から、人の気持ちに関心があった気がして、今でも人の行動心理や深層心理なんかが書いてある本や記事なんかに目が止まる、ついつい立ち読みする、気づいたら本屋で2時間みたいなことになる。

器用な方ではなくて、1つのことを黙々とやり続けることはできても、多数のことが勃発すると、モードを切り替えてこなしていかないといけない。(今の営業の仕事は業界柄、日々ハプニングが勃発するもので、よくやっていられると我ながら思ったりする。)

モードを切り替える、的なことは器用なのかもしれないけど、本当の本当に自分の適性に合った仕事でやりがいを持てたら、そりゃ幸せだよなぁ〜とかは社会人になってから思い始めていて、でもこうして仕事とは別に文章を書いたり、絵を描いたりしている時は幸せなのだから、今は今でありなのだとも思う。

中高の部活も、レギュラーになれたこともないし、なんで続けられたかって、部活仲間が好きだったからであって、たとえどんなに捻くれた部活の顧問に怒られたとしても、みんなで笑ってアホなことしまくってたら、何故か、また次の日も朝からまだ誰もきていない体育館で1人練習していたりする。目的を持ってそれを成し遂げるために今を生きる、ってことをわたしはまだやったことがないのかもしれないからやってみたい。

▼母とのカフェの続き

そんな3人が絡んでいる出来事なのだけど、母が【HSPとは】の記事を読んで、何を思ったのか、胸のうちは結局よくわからないままだった。

お寺から、家まで30分歩いて、途中もたぶん妹のことをあれやこれや話した。母にはガス抜きが必要なのだというのも、高校時代から心得ていることなので、なんか気持ちがラクになってたらいいなと思う夕方だったと思う。

妹とわたしのことはまた別の日のnoteさんにお世話になろうと思います。


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