【ショートショート#1】落ちる落ちる。
「よっしゃ〜。着いた〜。」
「はぁ〜。もうダメだ〜。」
自宅アパートの鍵を待ち切れない様子で開けて、僕は玄関に倒れ込んだ。
疲れていたのだ。とにかくもうヘトヘトだった。
玄関の床を見つめてしばらく経った頃、重い体をようやく起こした僕は部屋へと向かう。
小さくて固い引きっぱなしの布団がある僕にとっての天国だ。
そこに向かうために狭い狭い廊下を通って行く。
廊下とは言っても1Kのアパートだからほとんどは距離はない。
——はずなのに今日は部屋までの道のりが妙に遠く感じる。
「あれぇ?こんなに遠かったっけ?」
体を引きずるように歩いていた僕は立ち止まって首をかしげた。
——その瞬間、さっきまで感じていたはずの体の重さが一切なくなった。
床がなくなり下に落ちていていたのだ。
「え、嘘!? な、な、な、なんで?」
焦っている間にもどんどんどんどん下に落ちていく。
重力に逆らって上に上がろうともがいてみたが無理みたいだ。
落ちる落ちる……
「はぁ……どうしよう……」
段々と自分の置かれている状況を理解してきた。焦りを通り越して冷静になってきたぞ。
しばらくすると、なんでこんなことになったのかを考えるより、
これからのことについて考えるようになった。
後回しにしていた仕事はどうしよう。
ここ最近ろくにデートができなかった彼女は怒っているだろうか。
週末ジムの体験入会も申し込んでたな。
そういえば公共料金の払込伝票を玄関に置いたまま忘れていた。
友人の結婚式の招待状に返信もしていない。
いやそんなことより——
母親は元気にしているだろうか。しばらく連絡をろくに取っていなかった。親不孝な息子だったな。
やりたいこともやっていないし、会いたい人にもあっていない。
このまま戻ることができないなんて——
「嫌だーーーー!!!」
そう叫んだとき、冷たい床の感触に気が付いた。
どうやら帰ってきてそのまま玄関で寝てしまっていたようだ。
僕は体を起こしてスマホを手に取った。
プルルル……
「あ、もしもし母さん……久しぶり。」
——完——
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