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莫言「赤い高粱」

ガルシア=マルケスにしてもバルガス=リョサにしても、ラテンアメリカ文学の多くは土俗的な雰囲気に満ちています。
日本人だと中上健次に同じような味わいがありますが、中国人作家である莫言もこの系統に属する作品を多く発表しています。

莫言の代表作の一つが「赤い高粱」です(岩波文庫から「赤い高粱」と「続・赤い高粱」が刊行されていますが、「続」まで含めて一つの作品です)。
20世紀中国の農村部を舞台に、一族の歴史が描かれた小説になります。

元々私が莫言に興味を持ったのは、マルケスの影響を受けた作家だと聞いたからです。
もっとも、前編(「赤い高粱」)を読んだ限りでは、むしろリョサに似ているという印象を受けました。

その理由の一つは、物語を語る上での構成にあります。
本作では、祖母の輿入れや日本軍との戦闘などの各場面が細かく切り刻まれ、時系列を入れ替えて順不同で物語られます。
細かい情報の断片が積み重なることで、次第に大きな物語が浮かび上がってくる手法(大きな物語から逆算して、情報を断片化して提示する手法)は、まさにリョサの得意技です。

一方、後編(「続・赤い高粱」)に入ると、俄然マルケス的な味わいが強くなります。
それまでリアリズムに基づいていた物語が、次第に非現実感が強くなり、マジックリアリズムの世界に突入するのです。
赤犬、緑犬、黒犬率いる野犬軍団のエピソードなんかは、荒唐無稽で抜群に面白いです。

そして、素晴らしいのが、作品全体に充満する「土」の香りです。
マルケスやリョサの作品も雰囲気たっぷりですが、莫言も負けてはいません。
その上で、鮮やかな色彩イメージが作品を貫きます。
広野一杯に広がる真っ赤な高粱の畑。
その畑が赤い夕陽に照らされる情景が、本当に目に浮かぶようです。

この「赤い高粱」について、莫言自身は「出来が悪い」作品と評しています。
当初私は、これは作者の謙遜だろうと思いました。
この力強くも猥雑な作品が「出来が悪い」のであれば、世の中のほぼ全ての作品が「出来が悪い」ことになってしまいます。

ところが、その後、莫言のもう一つの代表作である「白檀の刑」を読んだ時、彼の言いたいことがよく分かりました。
驚くべきことに、この「赤い高粱」ですら、「白檀の刑」に比べれば確かに「出来が悪い」作品だったのです。

ということで、「白檀の刑」については、また改めて語りたいと思います。

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