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ウィリアム・フォークナー「響きと怒り」

バルガス=リョサ「緑の家」では、物語を断片化し、時系列もバラバラに配置する手法が使われていました。
何の断りもなく場面が転換され、しかも時系列を無視してエピソードが物語られるので、読み進めるのに細心の注意が必要となります。

この手法は、リョサのオリジナルではありません。
この手法を最初に使ったのは、おそらくウィリアム・フォークナー「響きと怒り」だと思います。
「響きと怒り」は、アメリカ南部を舞台に、ある名家の没落を描いた小説です。

「響きと怒り」第1章から第3章までは一人称で描かれていますが、第1章の語り手は知的障がい者です。
その語り手は、知的障がいがあるが故に、筋道立った思考を行うことが出来ません。
フォークナーは、そのような語り手の属性を、語り口と構成で表現しました。
つまり、語られるエピソードを細分化し、時系列を入れ替えることで、語り手のまとまらない思考を表現したのです。

続く第2章で語られる内容は、整理されたものとなります。
それもそのはず、語り手が健常者に変わったのですが、この違いが実に効果的なのです。
さらに、第3章ではまた別の語り手に交替しますが、語られる内容は第2章以上に整然となります。
第2章の語り手は深い悩みを抱えており、思考が混乱しているのですが、第3章の語り手にそのような悩みはありません。
そのことを語り口の違いで表現したのです。

「語り口」をもって語り手の属性や悩みを表現する。
そのような手法を効果的に用いたフォークナーは、本当に凄いと思います。
「響きと怒り」は物語も面白く、それが語りの手法と密接に結びついている点で、素晴らしい作品だと思います。

このフォークナーの手法を洗練化させたのが、リョサなのだと思います。
フォークナーの場合、場面転換時には余白を設け、場面転換の事実を読者にも視覚的に分かるようにしていました。
ところが、リョサはそれすらもしません。
余白がない以上、場面転換の事実を、文章だけで分かるように書かなければなりません。
極めて高度な技法であり、誰もが真似できるものではないと思います。

フォークナーとリョサは、どちらも優れたストーリーテラーです。
両者ともに、物語を効果的に表現する手段として新しい技法を試み、小説の表現手法を押し広げた革新者だと思います。

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