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飛浩隆「ラギッド・ガール」
私はSFが好きです。
アシモフ、ハインライン、クラークの御三家をはじめとして、SFの世界を開拓してきた先人たちは、人間の持つ想像力の限界に挑んできました。
小説に描かれた世界を理解するためには、読み手の側も想像力をフルに働かせなければなりません。
元々小説という媒体は、映像媒体と比べ、読み手の想像力がより強く要求されます。
その意味で、SFは実に小説らしい小説なのかもしれません。
ここ日本にも沢山のSF作品があります。
その日本SFが辿り着いた究極進化形が、飛浩隆「ラギッド・ガール」だと思います。
「ラギッド・ガール」は、「廃園の天使」シリーズに属する連作短編集で、第1作の長編「グラン・ヴァカンス」に続く第2作になります。
「グラン・ヴァカンス」「ラギッド・ガール」は、仮想空間に住むAIを主軸とした物語です。
第1作の「グラン・ヴァカンス」は、謎が提示されただけで放り出されてしまった感が否めませんでした。
一方、「ラギッド・ガール」では、仮想空間の成り立ちが科学的に説明され、前作で積み残された様々な謎が明かされます。
SFの魅力の一つは、この科学的な説明にあると思います。
いかにそれっぽく説明して(科学的合理性に幾分かの嘘を交えて)、読者を納得させる(騙す)か。
この点で「グラン・ヴァカンス」には食い足りない感じがありましたが、「ラギッド・ガール」は極めて高品質のハードSFです。
加えて、「ラギッド・ガール」が素晴らしいのは、透明感のある美しい作品だという点です。
舞台となる仮想空間は人間によって作り出されたものですが、その存在理由は実に醜悪です。
グロテスクな描写も、これでもかと言うほどに出てきます。
それでいて、作品全体に透き通った美しさがあるのです。
グロテスクでありながら美しいこと。
その秘密の一端は、説明しすぎない端正な文章にあると思います。
加えて、「夏のリゾート」「硝子体」等の透明感溢れるイメージ作りが巧妙であること。
美しいというイメージには、こうした道具立ての妙も大きいと思います。
「ラギッド・ガール」は優れたハードSFであり、さらにグロテスクさと美しさを両立させた希有な作品です。
この点について、「グラン・ヴァカンス」の作者あとがきに印象的な一節があります。
「清新であること、残酷であること、美しくあることだけは心がけたつもりだ。飛にとってSFとはそのような文芸だからである。」
「グラン・ヴァカンス」「ラギッド・ガール」は、いずれも清新であり、残酷であり、美しい作品です。
加えて、「ラギッド・ガール」には、ハードSFの精髄が詰まっています。
これこそが、SFという文芸が辿り着いた一つの究極だろうと思います。