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連城三紀彦「戻り川心中」

ミステリー小説を読むとき、私の評価の尺度は二つあります。
「ミステリーとしてどうか」「小説としてどうか」です。

ミステリーの中には、文章が硬くて何だか問題文を読まされているように感じてしまうものがあります。
翻訳の問題もあったのかも知れませんが、昔エラリー・クイーンを読んだ時にそのようなことを思いました。
島田荘司「占星術殺人事件」も、例のあのトリックには度肝を抜かれましたが、そこに至るまでがいかにも問題文的と感じてしまいました(ただし、冒頭の手記は別です。最後のトリックとあの手記にこそ、「占星術殺人事件」の素晴らしさが詰まっていると思います。)。

東野圭吾「容疑者Xの献身」も、倒叙型を逆手にとったアイデアには目を見開かされました。
もっとも、軽すぎる文体と人物造形の浅さが、私には駄目でした。

一方、小説としては良いのだがミステリーとしてはどうか、という作品もあります。
京極夏彦「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」は、饒舌で衒学的な語り口や、おどろおどろしい雰囲気などは、本当に素晴らしいと思います。
もっとも、ミステリーとして見た場合・・・
詳細は省きますが、私には駄目でした。

小説としてもミステリーとしても優れた作品を書くことは、それだけ難しいことなのだと思います。
しかし、中にはこれを完璧な形で実現した作品があります。
それが、連城三紀彦「戻り川心中」です。
「花葬シリーズ」とも呼ばれる、8編からなる短編集です。

「戻り川心中」で特筆すべきは、香り立つような文章の美しさです。
どの作品も大正レトロな雰囲気に花のモチーフが絡み、短編集としての統一感も文句なしです。
美しい文章に気持ちよく浸っていたら、事件と謎が自然に提示され、いつしか物語に引き込まれていく。
そこには、問題文臭さなど微塵もありません。

ミステリーとしての切れ味も抜群です。
ネタバレを避けるため詳細は省きますが、各作品では、途中まで見えていた風景と読了後に見える風景とが全く異なります。
前提を少し入れ替えることで、読者に見える風景をがらりと変えてみせること。
これこそが、連城三紀彦の得意技なのです。

「ミステリー」として、あるいは「小説」としてであれば、「戻り川心中」に肩を並べる作品はあると思います。
しかし、「ミステリー小説」として見た場合、私は、「戻り川心中」ほどの作品を他に知りません。

文学とミステリーの奇跡の融合。
それこそが「戻り川心中」なのです。

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