マリオ・バルガス=リョサ「緑の家」
ラテンアメリカ文学の二大巨頭と言えば、ガルシア=マルケスとバルガス=リョサです。
しかし、この二人の小説家としての資質は、実は大分違うように思います。
私が初めて読んだリョサ作品は「緑の家」でした。
最初のうちは「何て読みにくい小説だ」と思いましたが、それは読み方の勘所が分かっていなかったからです。
この小説の特徴は、五つの系統に属する物語が、断片的かつ時系列もバラバラに物語られる点にあります。
本作を読み進める上では、そのことを理解しておく必要があります。
リョサの仕掛けた罠はこれだけではありません。
同系に属する物語の中でも、何の前触れもなく現在と過去が行きつ戻りつしますし、いつの間にか話者が入れ替わっていたりもします。
今物語られているのがどの系統の筋なのか。どの時期のことなのか。今話している者が誰なのか。
そうしたことを注意深く読み解かなければならないのです。
これだけ聞くと、「何て面倒くさい小説なんだ」と思うかも知れません。
しかし、一度この技法に慣れてしまえば、回りくどい説明がない分スピード感が抜群で、しかも叙述トリック的快感も味わうことが出来るのです。
上手に使うことが出来れば、これ程効果的な手法はないと思います。
「緑の家」の素晴らしいのは、この技法だけではありません。
各物語の断片が巧妙に配置されていることにより、異なる二つの存在や価値観(白人とインディオ、奪う者と奪われる者、密林と砂漠、男と女、神秘的な「緑の家」と世俗的な「緑の家」等々)が上手く対置されるようになっているのです。
その上で、五つの系統の物語が最終的に一つの大河に合流し、ペルーという国が抱えている「業」が浮かび上がってくる。
そのような構成となっているのです。
読後には、アマゾンのムンムンする熱気とペルーの抱える「業」が胸いっぱいに広がり、深い余韻に包まれます。
マルケスの小説からは、先に個別のエピソードがあり、それらが集積して一つの物語を構成しているような印象を受けます。
一方、リョサの場合、先に大きな物語があり、それを断片化して細かく配置したような印象を受けます。
この点で、私は両者の資質に対照的な印象を受けるのです。
リョサは、希代のストーリーテラーでもあります。
リョサの紡ぐ物語は、どれも抜群に面白いです。
「緑の家」は、はじめは取っ付きにくいかもしれませんが、慣れてくれば豊穣な物語の世界に浸ることが出来ると思います。