月間報告の宛先
もちろん、全ての生徒が前のめりに通塾しているかと問われたら、決してそうでなく単純に面倒で休みたくなったり、部活疲れで授業どころでなかったり、講師に甘えに来ているような態度だったり、そういう気持ちの揺れの中、人間らしく、本当に様々な生徒が通ってきています。しかし、続けてくれている生徒は自覚がある子もない子もいるにせよ、「志高塾で取り組んでいることが自分のためになっている」と体感してくれているように思います。厚かましく自信過剰な言い方に聞こえるかもしれませんが、それだけのこと、それだけの講師の方々と生徒の力が揃っている場所です。
こんにちは。志高塾です。
上記は、現在大学3回生の講師が書いた月間報告の一部です。
月間報告とは、毎月一回、講師がそれぞれ担当する生徒とその親御様に向けて作成する報告書のことです。主に授業の詳細や生徒の様子、それらを踏まえた課題と今後の対策が具体的にまとめられています。
彼女が書いた月間報告、本当は全文引用したいほどに、とても良い内容でした。生徒への想いの深さや指導の熱量が直に伝わってきて、書き手自身の持つ誠実さや力強さを読み手にお裾分けしてくれる、そんな文章でした。
ただ、これは彼女が、他の誰でもない一人の生徒とその親御様に向けてつづったものなので、承諾を得た上で一部抜粋に留めさせて頂きました。それに、一部分をご覧頂くだけでも、彼女がどのような人で、生徒や同僚の講師たちと普段どのように関わっているのかを、十分に想像して頂けるのではないでしょうか。
ここで、代表・松蔭が毎週執筆しているブログから、少しだけ引用を。
私が講師を雇う時、子供好きかどうか、はまったく考慮しない。
話はもっとシンプルだ。
相手が子供であれ、同級生であれ、年上の人であれ、仕事、プライベート 関係なく、この人と会って良かった、この人と話せて良かった、そう思ってもらえるように、自分に何ができるかを考え、行動することである。
(2016年4月19日「志高く」Vol.248「それは違うよ」より)
※全文はこちらからご覧頂けます。
志高塾代表 松蔭俊輔の『志高く』 (seesaa.net)
以前は、学校や塾の先生といえば基本的に子ども好きで、受け持つ教科は得意科目というイメージがありました。ですが、志高塾の採用では「子どもが好き」や「国語が得意」であることを求めてはいませんでした。
「子どもたちをどうにかして成長させてあげたい」と思えるか。
そして、「自分自身も成長し続けたい」と思えるか。
もちろん他にも色々と条件はあるのですが、長く働いてくれている講師たちのことを思い浮かべると、最後はその2点に尽きるのだろうと思います。
「月間報告はやっぱり大変です。生徒に教えるのも難しい。でも、成長できるので」
学生・社会人問わず、さらりとそんな風に言ってくれる講師が、今も昔もいます。
大変だけど、成長できるから、頑張る。言葉にするととてもシンプルですが、決して簡単ではありません。
言葉が真に迫って重みを持つのは、その人が本当に大変な思いをして、本当に成長して、そしてまた本気で頑張るからです。
誰のために?
子どもたちのために。
そして、自分自身のために。
そういう人が、子どもたちに「この人と会って良かった」「この人と話せて良かった」と思われるような一人になるのでしょう。
最初の方で、月間報告を「担当する生徒と親御様に向けて」作成するものと説明しました。ですが、矢印は一方通行ではありません。
講師自身が、生徒の現状をしっかりと振り返り把握する。次はどのように手を打っていくのか、何をしたらもっと力を伸ばせるのか自ら考える。そうして子どもたちの伴走者となりながら、自分自身をも成長させていく。
月間報告の矢印は、両方向に伸びています。痛みを覚えるほどまっすぐ一直線かもしれないし、不器用にぐにゃぐにゃ曲がりくねっているかもしれません。しかし、とにかくそれは、両方向です。
講師が生徒や親御様に宛てた手紙であると同時に、自分自身に宛てた手紙でもある。志高塾の月間報告って、そういうものなのではないかな、と思います。
今回引用した学生講師の月間報告。ある部分は、「生徒」を「講師」に入れ替えて読むこともできそうです。
<おまけ>
ヘッダの写真、「月間報告」→「手紙」→アーノルド・ローベル作『ふたりはともだち』の一編「おてがみ」を連想して選んだのですが、大変分かりにくいですね・・・。