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宮澤賢治と四次元世界

四次元時空

 四次元時空というのは見えない。隠れた世界なのです。ある意味では、鉛筆と紙の上にしか存在しない。我々の現実は三次元空間とそれから時間とによって成り立っている。<中略>
 時間がたつごとに三次元の空間的な配置も変わる。
 ところが四次元的な時空という観念は、非常につかみにくいのです。
ミンコフスキーは、これは絶対的な世界である、といった。つまり四次元時空の中で一本線を引くと、この線が我々の人中の軌跡なのです。生まれた時から死ぬ時まで、一本の軌跡になってしまうわけです。

アインシュタインの天使―はじめに落下ありき
金子 務、荒俣 宏 著

無限の自由への跳躍

 これは一種の決定論的な世界、絶対論的な決定論的な世界、ということでこれについては猛然な反発もあったのです。
 とくにベルグゾンが、アインシユタインの特殊相対性理論を批判します。ベルグソンは、「生きている時間」というのが重要である、物理化された、対象化された、時計で測れるような時間というのは死んだ時間、死んだ物理的時間である、といいます。
 我々は生きている。生きているということは、その中には必ずクリエイティヴが、創造がある、ということである。そこに生の飛躍がある、という。

上掲書

宮澤賢治と四次元世界

 賢治は『春と修羅』を書いた時に、序文の最後に、赤鉛筆で二行書き足して後で消しているのです。その二行には、「これは四次元構造にしたがって展開します」という意味のことが書いてある。
 四次元構造にしたがって展開します、というのは、ミンコフスキー的絶対的な世界を、自分は『春と修縦』で描きだすのだ、という向自負なのです。
 しかし後で、また少し気が弱くなって、この部分を削ってしまう。残っているところで、明らかにミンコフスキーの影響が読める部分があります。
 透明な軌跡とか、四次元の軌跡とか、いろんな表現があります。これらはどれも、四次元的な世界としてかなり説明できます。ただ、ベルグソンの影響もやはり受けていて、心象風景を自分は綴るといっている、これはベルグソン的世界なのです。

上掲書

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