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無限に拡張される意識と増殖する身体

洞窟壁画に残る古代人の手形

 「・・・こうしてこの体制のおかげで、精神は音楽家のようにわれわれのうちに言語活動(ランガージュ)を生みだし、われわれは話すことができるようになる。もし唇が肉体の求めに応じて、食物という重荷を支えなければならなかったら、おそらくわれわれは決してこの特権を手にすることがなかったであろう。しかし手がみずからこの重荷を引き受けて、口を言葉のために解放したのである」
ニュッサのグレゴリウス『人間創造論』(西暦三七九年)
(三三五―三九五年ごろ。東方教会の教父。三八一年のコンスタンチノポリスの公会議に大きな役割を果す)

身ぶりと言葉 アンドレ-ルロワ-グーラン

 ドイツ語の die hand geben という表現は直訳すると「手を与える」となりますが、これには握手する、という意味ともう一つ(女性が人に)結婚の承諾を与える、という意味合いがあります。現在でもこのように使われる言葉には「手」に対するなにか特別な想いがあるように感じられます。

 私たちは進化の過程で「手」を使えるようになって道具を巧みに操る術を身に付け、古代人たちは創意、工夫を重ねて道具を作りましたが、同じ「手」によって、ラスコー洞窟などで知られる優れた壁画を残しています。
 古代の人類にとっても自身を飛躍的に向上させた「手」はおそらく特別なものだったのではないかと思いますが、それは古代人が残した壁画の中に「手」をかたどったものがたくさん描かれていることにもあらわれているように思います。

 壁や岩の表面に手を置いて、その上から顔料を吹き
かけることによって作られるこの形象は、それが手の影で
あるところから「ネガティヴ・ハンド」と呼ばれている。

洞窟へ 港 千尋

 「ネガティヴ・ハンド」は洞窟壁画の中でショーベやコスケール洞窟、スペイン北部のエル・カスティージョ洞窟などで発見されていますが、これらは単に数万年も前の壁画、というだけでなく、年代も場所も異なるにもかかわらず、同じ様式で描かれている、とされています。

 オーリニャック期とマドレーヌ期前期あるいはソリュトレ期後期に属するふたつの時代の活動が重層的に残っているという事実は、洞窟に空間的構造を見るだけでなく、時間的構造も見なければならないことを意味している。
 同じ描きかたのスタイルが、違う土地で、まったく違う時代に採用されていること。

上掲書 p31

 また「ネガティブハンド」のなかには指が欠けているものも多く、これを宗教的な儀礼として考える説、凍傷による欠損と考える説などがあります。

 これらの説に対して、ルロワ・グーランは、欠けている指はどれもかなりばらつきがあって規則性がないこと、ほぼ例外なく指の欠損はすべて第二関節よりも上であることなどから、指を折り曲げて顔料を吹きかけたのではないか、と主張しています。
洞窟へ 港 千尋より、「ガルガスの手」ー全体的研究のための試論

 洞窟壁画はクロマニョン人作成説と、ネアンデルタール人作成説とがありますが、両者の文化的な特徴などを比較しながら人類の祖先が残した美術作品を見ると、改めて変わらない美意識に気づかされます。

現代のプロメテウス

 初期の人類といわれるアウストラロピテクスは約400万年前 - 約200万年前に生存していた、とされていますが学名にホモと付けられているものだけでも数多くの原人、旧人、新人が発見されています。Wikipediaで言語、道具、火の使用に項目が設けられているのはそれらが文明、文化の発展に欠かせないもので、言語や道具の有無によって知能、知性の発展段階が区別されるためでしょう。

 言語や道具はいくつかの神話のように、ある日突然、手に入れたものではなく、おそらく徐々に少しずつ発展の過程を経ながら獲得してきたと思われます。そしておそらく、知性も同じように少しずつ進歩してきたのではないでしょうか。

 19世紀にメアリーシェリーは科学者が人を造る物語「フランケンシュタイン」を書きますが、フランケンシュタインの原題は「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」とあります。プロメテウスは人間に火と技術を与えてゼウスに罰せられた、という話が有名ですが、一説にはプロメテウスは粘土から人間を造ったともされています。

 科学者フランケンシュタインは、自身と同じように優れた知性を持つ人を「理想の人間」と考えます。理想的な人間として造られた人(怪物)は、はじめから優れた知性を持つように設計されているのです。

 神話では神もプロメテウスも自身に似せて人を造りました。
 技術者であり工作者であるプロメテウスが自らを模して造った人はすぐれた知性を持っています。それゆえに人は「賢人」とされますが、技術者プロメテウス、あるいは工作者(神)はなぜ人を造ったのでしょうか。

 われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。

『人の創造』(創世記1:24~31)

自己複製する生命

 生命の特徴は「代謝」「増殖」「細胞膜」そして、「進化」です。
 生命は自己を複製して増えるようにコーディングされています。
 私たち生命は社会的な存在ですので、ひとりで生活するのではなく家族や友人とともに過ごすようにできているのでしょう。

 「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」

『主は人に助け手を』(創世記2:18~25)

Ancillary Justice

 やがて私たちはさらに多くの<疑似人格>を持つようになるでしょう。それはアバターと呼ばれているものに近いかもしれませんし、別の呼び名がつけられるかもしれません。そしてその数は数千~数万に及ぶのかもしれません。

二千年にわたり宇宙戦艦のAIだったブレクは、自らの人格を四千人の人体に転写した生体兵器<属躰(アンシラリー)>を操り諸惑星の侵略に携わってきた。

叛逆航路 アン・レッキ―

 古代人は自分の「手」をかたどってたくさんの壁画を残しました。指を折り曲げて様々な形をデザインしたのは、意匠をこらす意味と手と指が器用であり、道具を作って使いこなせることの現れであったか、それとも意識せずに変異(ミューテーション)を再現したものだったのかとも思ってみたりします。そしてそのように描かれたたくさんの「手」はもしかしたら、自分のコピーを残そうとしたものなのかもしれません。


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