見出し画像

追い詰められていく環境

父の実家は、とにかく問題を多く抱えていた。

戦後まもなくに建てられた家で、掃除は長年されてこなかったし、虫もよくわいていた。階段はかなり急で足を踏み外しそうになる。そして、洗面所がない。手を洗うのも顔を洗うのも歯磨きをするのも、すべて台所のシンクで。トイレも汚すぎて入るのにかなり抵抗がある。また祖母も住んでいて、その祖母はすでに重い認知症になっていた。

うつ病で不安症で恐怖症だったぼくは、認知症の祖母とどう接すればいいのか分からなかった。突如罵声を言い放つようなこともよくあったため、何を言われるのか分からず、どんな行動を取るのかも読めず、怖かった。

だから、祖母のいる一階に行くことはほとんどしなかった。父は祖母の世話をするという名目で東京の家に住んでいたのだけれど、ほとんど相手をしていなかった。適当にあしらう程度のことしかしていなかった。

 

ぼくに与えられた四畳半の部屋には何もなかった。机はない、家具はない、冬なのでストーブも必要だったが、ない。何もない。畳も何十年も取り替えていない。

また、お風呂場も全体が石造りのもの。四方の壁も石、床も石で、とにかく危険で、とにかく汚く、入るのに毎回相当な抵抗と覚悟があった。浴室に入ってもシャワーを軽く浴びるだけだ。

父に相談しても、机や家具など生活用品を揃えるお金は一切出してくれない。風呂やトイレを治すこともしてくれない。

完全に人生追い詰められた思いだった。うつ病の症状も悪化していった。

神奈川の家と行ったり来たりして、小説は書き続け、何とか安価なテーブルと、ストーブ、絨毯を揃えて、東京の家でもどうにか小説を書ける環境までにはした。小説を書けないのは、死ぬことよりも辛いことだったからだ。小説を書けないのは、いますぐ死ねと言われているのと同じようなことだったからだ。

平日の十時からは、祖母の世話をしにヘルパーさんが来た。ヘルパーさんはぼくがこの家に住んでいることは知らない。こっちも不安症・恐怖症から、顔を見せたくなかったので、来ている間は階下に行けない。話し声が大きく、朝はゆっくり寝ていられない。また、その間は外にも出られない。階下に降りられないので、顔を洗ったり、その他諸々の朝の支度をすることができなかった。

とにかくこの家にいるとゆっくり休めることができない。こんな場所でとても生活できない。健康な人でもここで長期間生活するのは苦しいというほどだった。

何とかしてこの環境から脱出しなくてはと思った。

本当に、このまま小説を書くことさえもできなくなって、心が目茶苦茶になって、死んでしまうのかと思った。この家族に殺される思いがした。

 

 

二月。学校もテストが済んで長い冬休みに入ったので、また一旦神奈川の家へと戻って、休みの間お金を稼ぐために、短期のアルバイトをして、何とか一人暮しを始めようと思った。

東京の家でも、神奈川の家でも、自分の居場所がどこにもなかった。神奈川の家に戻っても母親からは嫌な顔をされ、食事は一切出してくれないと言う。

良かったことは、アルバイトがすぐに決まったということだ。機械系工場でのアルバイト。面接に行ったその日に決まってしまった。

うつ病で心身ともに疲弊していた中、苦しい体でも、必死にバイトをした。

二月と三月の二カ月間。ほんの二カ月間と思うかも知れないが、ぼくにとっては相当過酷だった。真冬の早朝の寒さもそうだったが、仕事中、立っていることさえやっとだった(八時間立ちっぱなしの仕事)。

終業の時間に近づく頃には、疲労で体ががくがく震えてくる。家ではご飯も出してくれないので、どこかで食べていくしかなかった。

あの家族から抜け出して、一人暮しができるのかと思うと、自分の体に精一杯鞭打って、必死に頑張った。疲労が蓄積してくると注意散漫になって、大きな失敗も何度もしてしまい注意を受けたけれど、めげずに通い続けた。

そのバイトをしている間も、弟とのいざこざが絶えない。母からは「早く向こうの家に戻りなよ」と言われる。

「あんたなんて、大して苦しんでもないでしょ!」とまで言われたこともあった。

 それを言われた時、悔しくて悔しくて全然涙が全然止まらなく、体全体にしびれが走り、手足を動かすのが苦しくなる程だった。泣きながらシャワーを浴びて、気持ちを落ち着かせると、しびれも治まっていった。

死にたい、こんな家族から離れて、誰にも知られずに、死んでしまいたい。そう思ったが、必死に我慢した。執筆活動をしていたことで、作品に自分の悲しみ悔しさを表現することができて、どうにか精神を保つことができた。

そしてバイトも終わり、三十万円近く貯めることできた。これでようやく一人暮しができる、そう思って。

こうして神奈川から離れ、大学二年目という新たな学期を迎えた。

いいなと思ったら応援しよう!