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『クチュクチュバーン/吉村萬壱』①【1408字】
【P-69】までの読了記録。
この本は人類にとって希望なのか、それとも絶望なのか────。by想識流名.
『クチュクチュバーン』①
開幕早々フルスロットルで草、草、草。カオスカオスカオス。現在進行形アポカリプス。カオスでない箇所を、おかしくないところを探す方が難しい(というか無理)。
【P-10】[l-14]従ってあなたは十本脚の蜘蛛になるのです、と説明されて一体誰が平然と「諾」と言えるだろうか。
だが、わけわからん変化が起こってしまっているならば、人間はそれに適応しなければならない。──それが人生の本質だ。変化、混沌は世界の本質なのだから。
【P-19】[l-13]「遠くのことを考えるより、今目の前のことをきちんとしなさい」
日常生活、それは数多の儀式によって成り立っており、その意味を問うてはならない。分裂した価値観に対応するには、分裂した精神が必要だ。──矛盾に満ちた現実世界で、矛盾に満ちた儀式を難なくこなし続ける精神が。
【P-24】[l-15]「見てごらん。大の男たちが食べられて消化されているよ」
「物凄い速さだ」
「不敵な奴だ」
人々はそう言って、この犬人間を遠巻きにして畏れた。
畏れ、近づかないようにはするが、それはそれ。許容して気をつけるだけだ。
【P-33】[l-8]慎一の顔は真っ赤に剥けて、更に何かになろうと筋肉まで剥けていった。頭蓋が現れてスラ、まだ剥け続けている。変化は生きている証だ。
つまりこの小説は、溢れんばかりの生に満ち満ちた小説であるといえる。
【P-39】[l-14]こいつは目玉だからまだ分からないでもない。純粋な有機体だからだ。しかし中には大きな岩に顔が三つも四つも生えたものや、体中から何百本もの絵筆をウニのように生やしたもの、事務机と合体して、机の脚から手足を生やし、抽斗を開けると顔や性器が出てくるものまでいるのだ。
こんなものに何かまともな説明が出来る人間がいるだろうか。
ページを繰るたび新たな混沌、本当に愉快な本です─────。
【P-49】[l-3]肉体にも精神にも境界というものが無くなった。従って「俺」という限定された呼び方が出来なくなった。心身共に宇宙大の大きさになった。フガフガ、フガフガ。もう思考も無い。普遍化したのだろう。こんな存在に、意味はない。
人に意味なし、存在に意味なし、宇宙に意味なし。その真実は、この上なく笑えるギャグだ。
【P-62】[l-12]「野郎ども、しっかり見るぞ。それが仕事だぁ!」
するとこの父の力強い言葉を受けて、子どもたちが一斉に拳を振り上げて応じた。
「おーっ!」
こんなに愉快な混沌の催しを、見逃す手はない。
【P-67】[l-13]ここでは絶えざる運動が無数の渦を創り出し、未だ未消化の物を溶かし切ることだけを目的とした蠢きが続いていた。では未消化の物とは何か。
それはシマウマ男の目だった。
ここに描かれていることは、まさに『ウェルギリウスの死/ヘルマン・ブロッホ』、『青い脂/ウラジーミル・ソローキン』の主題と同じことである。(あとこれ『鋼の錬金術師』の「エンヴィー」だし、『バイオーグ・トリニティ/舞城王太郎;大暮維人』だろ……)。
【P-69】[l-13]クチュクチュと身を捩らせた集合体は、そのまま瞬時に極小化した後やがてバァァァーンと大爆発した。
────新たな宇宙創生の瞬間である。
〈続〉