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【今日は何した?】栗名月・無気力・満月のさみだれ・萎え(10月15日~18日・22~25/100)

星読みの皆様のお言葉によれば、17日の満月のパワーは強力で、始めたい!と感じたらチャレンジするのに最適だったそうですよ。
牡羊座の満月で、12星座の最初、始まりを表すんですって。

そんな17日、あるジャンルに特化したことを書こうと、あらたにnoteアカウントを作ってみました。

しかし、メール認証がうまくいかずに頓挫。いきなり躓きました。

何かがスムーズでない時、それは違う、その方向ではないと宇宙が教えてくれてるという話も聞きます……



◼️ 10月15日(火) ◼️


「栗名月」でした。
よって、栗のお菓子をいただきました。

ざっくり言うと、今の9月の半ば頃が中秋の名月です。
こちらは「芋名月」。この頃に収穫の盛りを迎えるサツマイモを、感謝の気持ちを込めてお月様にお供えするそうです。
その翌月、10月の十三夜には、同じように栗や豆をお供えする風習から、「栗名月」「豆名月」という呼び名ができたのです。

栗名月、だからかどうかわかりませんが、近所のスーパーは栗入りのパンや洋菓子・和菓子が品薄でした………9月のお月見ほど、皆さん気にされないと思うのですが………。
ようやく見つけた、栗入りの水ようかんを購入。

現在では、ただ綺麗な月を見て美味しいものを食べるイベント性が重視されていますが、本来は、収穫を祝い自然の恵みに感謝する行事です。

自然に対して感謝の念を抱きつつ共存することが、古来より暮らしに根付いていたんですね。
現代でも忘れてはいけないことです



◼️ 10月16日(水) ◼️

びっっっくりするくらい、
生きる気力なし。
こんなふうに突然落ちる時があるのです。
原因は主には寝不足だと思いますが………とにかく体が動かない。
一過性のもので、一生こうではないとぼんやり思いつつ、
このまま何もできずあと約25年どうやって生きるのだろう、と急に不安になったりします。
やりたくないことばかりに囲まれて、やりたいこともやりたくないというか興味が持てなくなる、変な恐怖心。

何か書こうにも、なんだか何にも書けない。
もやもやしすぎて、思いのままに文字を吐くことすらできない。

あ、やばい、何も書けないなんて絶望的すぎる。
何をして生きていればいいのかわからない

その時、そう思いました。

何も書けない自分は、いよいよ何もできることがないのだと絶望を感じた日でした。

やばいやばいと思っていたら、ふと、
ああ、大河ドラマの感想を書きたい……!
やり遂げたいのに、できてないじゃないか!
と急に思い立ちました。

そこで、録画を追って感想をひたすらつぶやいたら、何だか生き返りました。

今(これを書いている18日現在)は、むしろ感想書きたいのに、家にいられず録画も見られないので、逆にもやもやしています。


◼️ 10月17日(木) ◼️

昨日とうってかわって、午前中からまあ~働いたこと。
朝から夕飯のハヤシライス作ったりして、掃除機もかけて、調べ物して、銀行に行って、午後は読書して、文字をだだ打ちして、夕方からスタジオのボクササイズ行って。
ああ、なんか、ちゃんと暮らしてるなと実感しました。

たまに思います。
ただ、平穏に暮らす。
それを紡ぎ続けるのが人生であっていいはずなのに

なんだか、目標だの使命だのを持たなきゃとか、成長し続けなきゃとか。
若い人は、ある程度はその方がいいと思いますけど………
今まで無理して頑張って生きてきたのに、
さらにまた頑張るなんて疲れるよね、と。

HSPの人は、生きているだけで様々な刺激を受けるので、非常に疲れるのです
どこかのサイトに、そんなことが書いてありました。
激しく同意しかありません。

HSPを和らげるような好きな街で、
HSPを理解してくれる愛する人と暮らし、
朝日を浴びながら素敵な景色を眺め、
美味しいものを日々見つけ、
日が暮れたら一日を静かに終い、
安眠をとる。

そんなシンプルな幸せから、
なぜ自分は程遠いのだろう。

その反面、思います。

HSPはさておきですが、
穏やかな暮らしでいいのは、
60歳くらいからで十分かもしれない。
錆つき始めた身体をメンテナンスするという負荷を背負いながら、
動けるうちは動き、刺激を求めないと、転がるように老いる一方。
それがアラフィフという微妙な年代。
アンチエイジングのためにも、気力を保たなきゃいけない。

気力の回復には、当たり前ですが、とにかくまず睡眠です。


この日は満月でした。
スーパームーン。
と言っても、マンションの工事の足場という檻の中。
ベランダに出てもあまり見えません。

最近、空の写真も全然撮れない。
早くわたしに空を返しておくれよ。



◼️ 10月18日(金) ◼️

ボランティアの広報誌の記事デザインについて。

作成したら、無茶苦茶注文をつけられ、
ちょっと嫌になっている。
レベルが5段階だとして、
去年のレベルが3だったので、
それと同じ作りにしたら、
いきなりレベル5を要求されている感じ。

なんやねん。
だったら去年は何だったの。
しかも、記事を作るための素材が少なすぎる。

まあ、自分でも、
このレベル3程度の内容でいいのか?
とは思ってましたが……。
それでよしとするかどうかの基準が、
その時の人まかせ。
それが、こちらの手落ちのように指摘されたのが不愉快でした。

訂正するために素材の提供元に確認する段取りがまた面倒で。
わたしが直接確認するならまだしも、人を3人くらい介さねばならず、それが煩瑣なのです。

こういう経験をしてしまうと、
仮にWebライターをやってみても、
『なんやねん』な指摘をされたら嫌になってしまうんだろうなぁと萎えたりしています。
逆に言えば、これくらいで萎えてしまうなら、熱意も足りないしむいてない。


難しいですね。

好きなことを好きでいるだけでは救われず、人との繋がり、関わりが肝の時代。 
そして、愛する自分をアピールするコミュ力が、より自分を輝かせる時代。

苦手なことだらけで四面楚歌です。

それでも、見えないものに突き動かされる継続は、なにがしかの力になるのだろうか。



ところで、年末まで残り約100日ということで、この日常備忘録的なのを始めたのですが、25日分になりました。

4分の1達成!



見出し画像は、
京都・上京区中村公園にて撮影
(これだけだとよくわからないけど本当です)





ここまで御覧くださった皆様、
貴重なお時間ありがとうございました!



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