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【ゆるゆる寺社フォト】八大龍王社(滋賀・大津市)

あの紫式部の石山寺の境内にあるお社です。
厳密には、石山寺の境内を織りなす山の中に片隅に鎮座しておられます。

このお社だけを目指して石山寺へ行かれる方は、ほとんどいらっしゃらないことでしょう。

今年は辰年ということもあり、龍にまつわる神社に可能な限り参拝しています。

それでですね、
実はですね……
この、石山寺参拝の日なんですが……

カメラのバッテリーが不足、
そして、
こんな時のために準備したはずの、
替えのバッテリーを持ち歩くのを忘れる

という、初歩的かつ致命的なミスを犯しました。

本気で泣きたかったです。


したがって、写真も少なめという哀しみを背負いながら、この記事を書いております。





■ 不思議ないざない



石山寺の境内のお堂や紫式部像などあちこちをめぐり、さて、この神社も行こうかとルートを確認したところ。

………… 微妙に遠い。
自分がいる山頂付近から東大門(境内の出入口となる門)へと下るのに、約15分ほど。
それくらい、石山寺は広いのです。 

しかし、この神社は東大門が遠くなる方向へとさらに脇に外れて行かねばなりません。

うーん、うーん、うーん、どうしよう。
もう2時間近く石山寺を歩きまわってるし。

でも、せっかくだから、とまわり道を決意して歩き始めました。

しかし。
分かれ道にある看板の案内に従って歩いているのに、なかなか見当たらない。

え、
どこなの?どういうこと?

……… うーん、うーん、うーん、もう疲れたし、あきらめようかなあ…と思いながら、鬱蒼とした林の中へと足を踏み入れてみました。

それでも、見つからない。


…………… と、この時です。

日差しをうっすらと遮る明るい曇天の隙間から、はっきりとした日差しが、少し向こうの林の中へと急に射し込んだのです。
サァァ………と、効果音がつくような雰囲気で。


──── 溜息が出るほど神秘的でした。

はっと我にかえり、写真に撮るべく、あたふたとスマホのカメラを鞄から出そうとしました。
すると、すっ…と日が陰り、元の曇り空へと戻りました。


残念に思いながらも、何かに惹かれるように、日が射した林の中へと入りました。



…………あ?


あった………!!



────── ありました!!!

バッテリー残量の恐怖と闘いながら、
最低限の枚数の写真を確保。


この鳥居、なんだか、
『待ってたぜぃ!』と言って立ってる感じ、しません?

わたしだけでしょうか?

なお、神社の写真を補正するのって、
イケメンの写真をより一層かっこよく見せるために細部を調整する感覚と同じだと気づきました。

わたしだけでしょうか?





■ 今夜、帰りたくない 貴方から



石山寺の歴海れっかい和尚がこの池のほとりの石に座って孔雀経くじゃくきょうを読むと、池の中から龍王たちが現れて和尚の経を聞き、経を読み終わると、和尚を庵まで送っていたと伝わっています。


神社の由来


ちなみに、龍王と龍神、違うのでしょうか???
単なる呼び方の違い???
よくわかりません。


御神木と祠
立札にピントが合い、
祠がぼやけるという不始末


祠にピントが合うように取り直し
祠には近づけないのですが、
よく見るとお供えがありました。
どうやって渡るのかしら………



実際に行かれると、ひと気がない場所なので、もしかしたらちょっと怖く感じる人もいらっしゃるかもしれません。


ところで、これは完全にわたしの体感なのですが……

優しい神様でした。
人通りのあまりない、
静かな森林の深いこの地に、
ずっと静かに居るのです。

優しい、優しいと思っていると、奇妙な気持ちに陥りました。

ふと、帰らずに、ずっとここにいたらどうなるのだろう、と。

『京都うれしい楽しい大好き、もっとここにいたいよう(泣)』
という、はっきりした感情とも違います。

そこはかとなく恋しくて寂しくて、
もう「帰りたくない」に近い。

すると、人知れぬよう木陰や草むらに寝泊まりし、ずっとずっと、この龍神様の傍にいる自分の姿がするすると頭に流れてきたのです。

流れる、とは、自分で想像したり妄想が浮かんだりするのとは異なります。


本当に帰らない人はいないでしょう。

頭ではそうわかっているのですが、
一線をふらりと越えてしまいそうな、
魔が差しそうな奇妙な感覚
に陥りました。


……… いやいや。

『わたしは、東京に帰らなければならないのです』

心の中で、そう語りかけました。

すると、龍神様(龍王様?)がひとつ、
手助けをしてくれることになりました。
わたしがやりたいと思っていることを、助けてくれると。
そんなお言葉がするすると頭の中に流れてきました。


やっぱり、優しい神様に違いありません。

その言葉をいただいて、今回は帰って参りました。
やりたいことが叶った心願成就のおりには、報告がてらまた会いに行こうと思ってます。


これもまた諸説ですが、
神社については、
『悪い気の神社がある』
『人を惑わす神様がいる』
との捉え方もあるようです。

合わない参拝客に対し、神様が怒って(?)転ばせたり残念な目に合わせる、
なんて記述も見受けられます。



悪いというか、気の合わない神社はあるのではないでしょうか。
人間だって、気が合う合わないがあるのと同じです。
何度も行きたい、行くたびに元気になる神社もあれば、なんとなく足を踏み入れたくない場所や土地にあったり、神社の前に立つと言い知れぬものを感ることもあるのでしょう。


わたしはそもそも気になる所にしか行かないので、あまりそういうことはないのですが………。




そして、俗世へと通じる帰り道






Date : 2024.7.30  12:30~




See You ! 






ここまで御覧くださった皆様、
貴重なお時間ありがとうございました!



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