【短編小説】影と僕④
~最終話~
「かわれた?」
「そう、入れ替わったんだよ、僕たち。」
意味が分からず、俺はただ混乱していた。
「意味が分からないって顔だね。教えてあげるよ。僕は君の影だった。君の黒い感情が僕に力を与えてくれたんだ。」
「は…?」
「君がクラスメイトや親に対して怒りや苦しさを覚えるたび、僕はどんどん力をつけた。極めつけはこの間京都に行っただろう?鴨川辺りで休んだようだが、三条河原辺りは昔処刑場だったんだ。は川の流れに乗って川全体に怨念やらが渦巻いている。お前はそんな場所に自分から足を運んだんだから馬鹿としか言いようがない。途中下鴨神社に行かれてかなり力が弱ってしまったが、学校に行ったお陰でまた復活したよ。学校はどす黒い負の感情の巣窟だからねぇ。」
頭が追いつかない。
どうすればもとに戻れるのか、どうすれば良かったのか。これからどうすればいいのか。軽いパニック状態だ。呼吸も浅くなり、息が苦しい。目の前のあいつは口を歪め愉快そうにこちらを眺めている。
「お前みたいに自分を持たない奴を乗っ取るのが僕たち影さ。だがこれからはお前が僕の影になる。一生替わってなんかやらない。ずっと暗闇にいろ。苦しかったんだろう?そこならずっと一人だ。傷付かずにいられる。最高だろう。そして僕にずっと付いて回るんだ。僕(しもべ)のようにな。」
その声を最後に目の前が真っ暗になった。
(いやだ、いやだいやだいやだいやだ!出たい、ここから出なきゃ。もう俺は僕じゃない。一人になりたくなんかない!洸平や父さん、母さんたちともっと話したい!やりたいことだってあるんだ!俺は言いたいことも少しずつ伝えられるようになったんだ!そうだ、クラスメイトにはまだ言いたいことも言えてない。言ってやるんだ。俺はもう前とは違うんだ。俺は俺だ!影じゃない!!)
そう強く心に一本の柱を突き当てるように、俺は自分を奮い立たせた。その瞬間、遠くの方で何かが発光した。
ぷつんっ
何かが切れた音がしたと同時に一気に意識が急上昇していく。まるで星が眼前から背後へ流れるような空間を通り過ぎた後、一気に身体に重力がかかる。思わず固く目を瞑る。
どれくらいそうしていたか分からない。気づいた時にはカーテンの隙間から朝焼けが見えた。身体を起こして手を動かす。
「あ……。生きて、る……?」
死んでいたわけではないはずなのに無意識に出た言葉。俺は死んでいたのか、あれば何だったのか、結局分からない。
カーテンを開け、朝の空気を吸い、暁の光を浴びる。
ずっと自分は自分であるはずなのに、生まれ変わったような瑞々しい朝だった。
ふと、部屋の勉強机を見た。横には学校の鞄がかけてある。その鞄には下鴨神社で買った厄除けの御守りが付けてあるはずなのだが、よく見ると紐が切れて床に落ちていた。
「もしかして、あの光って…これ?」
御守りがあいつを祓ってくれたのだろうか。買ったばかりの紐が切れるなんて、そうそうない。
変な汗が背中を伝う。
心臓が大きな音をたてていた。
改めて生きていることを実感し、息を吐く。
ひとまずスッキリしようと、シャワーを浴びに着替えを持って風呂場へ向かった。
今日は休日だ。
母に「お土産の一つはおばあちゃんに持って行きなさい」と言われた為電車に乗って30分程の場所にあるおばあちゃんの家へ向かった。
「おばあちゃん、久しぶり。」
「あぁ、よく来たねぇ颯太。早くお上がり。」
インターホンを押し、おばあちゃんへの挨拶もそこそこに家へ上がらせてもらう。
洗面所を借りて手を洗った後、まずはおじいちゃんに挨拶をする為、仏壇の前へ座る。おじいちゃんは5年前に他界し、今はおばあちゃんがこの家で一人暮らしだ。おじいちゃんが大切にしていた畑を手放したくないと一人畑で野菜を作り続けている。そのおかげが70半ばにもかかわらず足腰はしっかりしている。
おじいちゃんに挨拶したあと居間へ行き、おばあちゃんにお土産を渡した。
「はい、これお土産。」
「あらぁ。ありがとうねぇ。どこか行ったのかい?」
「これ、京都のお土産。ちょっと突然だったけど、行ったついでにお土産買ったから。」
母に言われて持ってきたことは秘密だ。
「京都…!?あらまぁ、遠くまで行ったのねぇ。観光かい?」
「まぁね。」
昔からおばあちゃんにはよく遊んでもらっていたせいか、全て素直に話すことができた。
親や両親に無断で突然京都へ行ったこと。京都に行くつもりはなかったけど、なんとなく京都駅で降りたこと。どうしていいか分からなくなった時、昔の友達と会えたこと。その友達の家でお世話になったこと。
おばあちゃんは少し驚いたりしながらも、優しい顔で終始話を聞いてくれた。
「次の日友達家族が、修学旅行で行けなかったとこに連れて行ってくれたよ。嵐山とか下鴨神社とか。」
「そうかい。下鴨神社はおばあちゃんもね、若い頃行ったことあるのよ。厄除けで有名な神社やろう?」
「うん。そうなんだよね。……そうだ!ねぇおばあちゃん、昨夜不思議なことがあったんだけど、聞いてくれる?」
俺は昨夜自分の身に起きたことをおばあちゃんに話した。
「まぁ……そんなことがあったの。そりゃあんた、御守りが身代わりになって守ってくれたのよ。ほんと無事で良かったねぇ。」
おばあちゃんは心底ホッとしたようだった。
「きっと何か悪いもんが憑いてたんやろうねぇ。鴨川の三条河原辺りは昔の処刑場だから、日が落ちてからは近づいてはいけんのよ。きっとそこでも悪いものをもらったんやろうねぇ。でも、颯ちゃんの強い気持ちが下鴨神社の神様に届いて守ってくれたのね。本当に良かった良かった。」
俺は背筋がゾッとした。昨夜のあいつも同じことを言っていたからだ。改めて下鴨神社の神様に感謝した。
「使用済みの御守りは神社へ返すのが一般的ね。遠くに住んでいて直接返せない場合は郵送も大丈夫だったかしら。どうしても時間がなくて難しい時は、御守りを紙に包んでそこに少し塩を振って、『ありがとうございました』って感謝の気持ちを添えてゴミに出しなさい。そうすれば大丈夫よ。」
そういえば御守りを返すということ自体したことがなかった。流石、神社好きのおばあちゃんはそういったことに詳しい。ちなみに神社が好きになったのはおばあちゃんの影響だ。
「おばあちゃんありがとう!また来るね!」
「はいはい。いつでもおいでねぇ。」
自宅に帰り、すぐに下鴨神社のホームページを検索する。御守りに命を守って貰ったのだと感じている俺は、出来れば神社に返したいと思った。返し方が分からないので電話で返送方法を聞いて、その日中に御守りを送った。
京都に行ったらお礼をして、また御守りを買おう。
次の楽しみができて心が軽くなる。学校のことを考えると、少し憂鬱になる。しかし、もう以前のような怒りは湧いてこない。何故かもう大丈夫な気がした。自分は自分なんだ。何を言われても。味方もいる。逃げ場所もある。弱くてもみっともなくてもいいんだ。これからは、そんな俺を大切にしてくれる人のことを考えよう。
自分の心に一本の柱を建てた俺は、きっともう僕になることはない。
郵便局からの帰り道、夕日を浴びた俺の足元に映るのは、いつもの俺の影だった。
〜完〜