答え合わせは10年後
SNSとスタバのフラペチーノの上に乗っているクリームは似ている。
映えるために様々なソースで彩られた甘いそのクリームは、苦味のあるコーヒーと合わさることでちょうど良いバランスになる。
毎日誰かが何かを達成したという報告が流れてくるSNSは、このクリームばかりがベルトコンベアに乗せられて流れてくるようなものだと思う。
もちろんそれらを祝福したいという気持ちに偽りはない。ただいつも手放しで喜べるかというと、それは嘘になるかもしれない。フラペチーノのクリームのように、ずっと摂取していると胸焼けを起こしてくるときもある。
物心ついた頃からTVチャンピオンの「小学生〇〇王選手権」のコーナーが苦手だった。自分と同じくらいの年齢の子が活躍するのを見るのがなんだか無性に悔しかったのだ。
そのくらい他人の成功に嫉妬してしまうぼくだ。SNSでの他人のおめでたい投稿を見るたびに、それと比較して自分の無力さに打ちひしがれる。そして自分もすぐにあたりを見渡し、手近な分かりやすい成果を求めてしまう。
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SNSは良くも悪くも他人の近況を24時間365日つまびらかにしてしまった。それによってぼくらは24時間365日いつでも他の誰かとの比較合戦にさらされることになる。
そうなると自然と目的が近視眼的になり、どうしても目に見えやすい手近な成果を求めてしまう自分がいる。ほんとうはその近況のほとんどは、その人の持つ甘くて見映えする一面に過ぎないのに。
ではSNSが普及する前はどうだったかというと、同窓会がその役割を担っていたように思う。久しぶりに友人と再会して、数年ぶりに近況を報告し合う。
その場合、他人との勝負というのは5年とか10年の長いスパンになる。今は圧倒的な差があったとしても、10年後の再会までに巻き返しておけばよかったのだ。
だからこそ今の他人の目や評価は気にせず、自分が信じた道を進むことができた。
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誰かが成功しているのを見て、果たして自分のやっていることは正しいのかと不安になったり、時には自分のやっていることを否定されたり。
そんな時にぼくはいつも心の中で「答え合わせは10年後」とつぶやく。
数日で成し遂げられる成果というのは、たいてい数日分の価値しかない。本当の意味で価値のある事を成すには、それなりの時間が必要だ。
だからこそSNSでの誰かの一挙手一投足に動じる必要はない。自分が信じた道をただ淡々と歩くだけ。あなたと私のどちらが正しいか、答え合わせは10年後。
今日の1枚
影は光の当たり方ひとつで、大きく見えたり小さく見えたりする。ぼくらが他人を見るとき、ひょっとして見ているのは大げさに誇張されたその人の影なのかもしれない。使ったカメラはLEICA M6、フィルムはKodak PORTRA 160。