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他人を救おうとする前に、「自分優先」で生きろ

こんにちは。
SHIKIです。

今回は、「自分が満たされていないが人を救おうとする人」に向けて書いていきます。

まず大前提、「人の役に立とう」とする心意気は素晴らしいことだと思います。

ただし、自分が全く満たされていない状態で他者を救おうとする人種がいます。

はい、昔の私です。w

病んでいる人、悲しんでいる人、苦しんでいる人、怒りを感じている人に対して「自分が救わなければならない」と思い、自分の劣等感・自己肯定感の低さを埋めるために救おうとする。

これを「メサイアコンプレックス」と呼ぶそうです。

「不幸な自分」「価値のない自分」を満たそうとするために、他人を利用しようとする。

メサイアコンプレックスの人とそうでない人の大きな違いは、先に自分の欲求を満たそうとするか、相手の欲求を満たそうとするかです。

まるで相手の為を思って言っているかのように「心配」を装い振舞いますが、その実ただ「相手を思い通りに動かしたい」という欲求に振り回されています。

そのため、メサイアコンプレックスの人は、過干渉/過保護になる傾向があります。

多くの場合、「相手の為を思って言っているのに何で受け入れられないの!」という結末を迎えることが多いです。

その結果、また「どうせ自分に価値なんてないんだ」という風な感情を手に入れることになります。

構造としては下記のような形になります。

(無意識下)「自分には価値がない」という自罰的な信念

(人と接する時)過干渉/過保護/自己犠牲的な献身etc…

(結果)共依存関係 or 人間関係の希薄化・断裂

(手に入るもの)「どうせ自分には価値がない」(自罰)or「言うことを聞かない相手が悪い」(他罰)

以下、ループ・・・

このように、自分が始めた物語をずっと繰り返しています。

このパターン化された構造には、始まりの体験があります。
この場合、「自分には価値がない」と思うに至った強烈な失敗体験を過去しているのです。

逆に言うと、「自分には価値がない」と思うことで生き延びれた成功体験をしているのです。

「価値がない自分」「不幸な自分」と思うことで、あなたは今まで生存することが出来てきました。そしてそのことに今も執着しています。

「価値がない自分」「不幸な自分」と思うことは、その当時には必要なことだったのだと思います。
自分を守るため、自分の生存を脅かされないように、そう思わざるを得なかった。

でも今はどうでしょう?あなたの人生は好転していますか?

むしろ人間関係が希薄になったり、人生に先細りを感じていませんか?

だとしたら、「価値がない自分」「不幸な自分」と思うことを手放す時なのかもしれません。

あなたは未来と可能性に生きてよいのです。

他人を救おうとする前に、まず自分を徹底的に満たしてあげてください。
人に対してしようと思っていることを、自分に対して施してあげてください。
自分の望みを一つ一つ丁寧に叶えてあげてください。

もしかしたらあなたはどこか「自分は幸福になってはいけない」「自分だけ楽しんではいけない」と思っていたりするかもしれません。

そんな自分を縛るような考えをずっと持って生きていたいですか?

唐突ですが仏教の考え方に、「自利利他」というものがあります。

自分だけ幸福になるわけではなく、他人を幸福にさせるだけではない。

どちらも希求することがあなたの人生にとって根本的に重要なことです。

ちなみに、あなたに想像してもらいたいことがあります。

自分が満たされていないのにも関わらず、「あなたを救おう」と躍起になる人から、何か施しを受けたいですか?

「まずお前が幸せになれよ」って思いません?笑

もしかしたら、他人もあなたに対してそのように思っているかもしれませんね。

あなたが幸福であることが、他の人にとっても幸福になるのです。

だからとっとと自分を満たしましょう。人の役に立つのはそれからです。
そして「幸福になってもいい」と自分に声をかけてあげましょう。

それが本当の意味で、「他人を救うこと」になります。

本日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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