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祈りの作法:2025年も素晴らしい年になりますね
新年あけましておめでとございます。本年もよろしくお願いいたします。2024年も素晴らしい年で、 2025年もまたそうなりますね。笑顔を忘れずに。いつもありがとうございます。
さて初詣などでは神様にご挨拶させていただくわけですが、みなさん一体あの無言の時間何をしているんでしょうか?意外と話すことも少ない話題なんじゃないかと思います。
しかし年始のこの無言の時間、一年の過ごし方として結構大事なんじゃないかと思いますのでnoteに書き殴ってみることにいたしました。
私あゆみむは、神道の専門家でもなんでもなく、たまに神社に行くごく一般人で、たまにスピ系情報を聞きかじり若干の影響を受けておりますご注意くださいませ。
年末、大掃除しながら偶然聞いていたさとうみつろうさんの配信動画で、初詣での禁句を説かれていたんですよ。初詣では「どうか」「お願いします」(とあともう一つあった「よろしく」だったかな。違ったらごめんなさい)を使うな、という話でした。しかし年始に行くとどうしても「今年はどうか◯◯でありますように。よろしくお願いします」とか言ってしまうので、できれば年末にお礼詣でに行きましょうと言うお話だったと思います。年始の今そんな話ですみません。笑
さて、さとうみつろうさんといえばスピ界ではおそらく知らぬ者はいないカリスマの一人と思うのですが、スピ界の住民でなければご存知ない方も多いかもしれません。私はさとうみつろうさんとひすいこたろうさんの区別がついていないかもくらいのニワカで引用するのも申し訳ないくらいですが、まあ何はともあれ昔「神様とのおしゃべり」は読んだんですよ。(これは聞いたことがある方も多いのでは?さとうみつろうさんの大ベストセラーです、本屋にすごい平積まれてた)
正直クッッソ怪しい雰囲気を放ってましたが当時はなんでも読んでみる精神が旺盛でした。食わず嫌いせず食ってみてまずければ捨てればいい。結果、不味いというか理解不能な箇所もありつつ、目から鱗も多かった記憶があります。
大掃除しながら聞いた配信動画で、「神様のおしゃべり」を思い出したのでちょっとメモしてみますね。(超曖昧な記憶ベース)
「◯◯でありますように」と言うフレーズは「"◯◯ではない"と言うことを信じている」ことの表明であるらしいです。具体的には「宝くじ当たりますように」だと「宝くじが当たるわけはないと信じている。でももし当たったらいいよねえ」みたいな。
前提として「私たちがそれぞれ見ている世界は、その一人ひとりが信じた世界が目前に現れる、現れている」わけなので(そういう理屈なんです)「当たったらいいよねえ(まあ当たらないと思うけど)」だとそれは当たるわけはない(当たると言うことが現実になるわけはない)と言うような話だったと思います。
つまり、「合格しますように」は「合格できないかも。でも合格したらいいなあ」となり、「合格できないかも」の方にハイライトが当たってしまう祈り方と言うわけですね。
もう一度前提の話に戻ると「信じたことが目の前に現れている」なので
もっと極端な説も別のスピ系筋から聞いたことがあります。
過去形で言いましょうと言うものです。(あれ?さとうみつろうさんもおっしゃってましたっけ…?(にわかでホントすみません))
「宝くじ当たりますように」ではなく「宝くじが当たりました。ありがとうございました」と言え、ってことです。
これは…. なかなか難しいですね。だってまだ当たったかどうかわからないのに。しかし理屈としては分かる気もします。「当たりますように」では「当たらないと思うけど…」の本心が透けて見えるようですが「当たりました」であれば言葉上は「当たった状態」にいると言うことになると言うことですね。そこまで盲信できればなんかもう全部叶うような気がしないでもない。笑 やれる人はぜひ。
個人的には、結局のところ、神前でお伝えすることは「いつもありがとうございます」しかないという結論になっています。
(さとうみつろうさんもそんなお話もされていました)
私はお詣りでは、挨拶をし(どこに住んでいる誰なのか、何者なのか)、いつもありがとうございますとお伝えしています。あとはその詳細ですね。
何がありがとうなのか、いつもどんなに私が幸せか、嬉しいことがあったか、頑張れたこと、良い巡り合わせ、ご縁、自然の中で生かされていること、世界が運行されていることなどなど。
書いていてちょっと論文のようだと思ってしまった…笑 (論旨)いつもありがとうございます。(理由)なぜならば(具体例)例えばこんなこともありました(まとめ)いつもありがとうございます。ということになりますね。
実際、スピ系聞きかじりをする前から「◯◯しますように」にはなんとなく違和感がありました。せめて「◯◯します!見ててください!頑張ります!」と言う宣言の方が適切ではないかと。そう思いませんか?
なのでかろうじて祈りの形式を取るならと思い「私がちゃんと頑張れますように」かなあとお祈りしていた時期もありました。でも、結局のところその時の自分が頑張りたいなら頑張るし、頑張りたくなければ頑張らないんですよね。表層的な自分のエゴというか欲みたいなもので「頑張らなくちゃ」を叶えようとしても無理な気がします。
その時その時を素直に、やりたいことがすっとわかって、そのまま行動できて、それができればきっとそれが一番良いことですね。
病気になりませんように。それだって、ならない方がいい気はするけれど、避けられるものでもないし、避けた方がいいのかどうか、本当のところはわかりません。病気にならない方がいいって一体誰が決めたんでしょう?今の自分の感覚であって未来何がどうあるのが良いか、を決められるわけはないですよね。
今年はもっとnote書けますように。
も、書きたきゃ書くし書きたくなきゃ書かないんです。なんでnote書かなくちゃいけないんですか?noteじゃなくて他のことを優先したっていいんです。どちらでも大丈夫。
そんなことより、いつも生かしていただいてありがとうございます、こんなに嬉しく幸せなことがありました、の方が自然体で素直に色々と頑張れちゃう気がします。(休むことがベストな選択肢のことだってあります)
冒頭の文章は今年のSNSに投稿した文章です。ある方が「2025年も良い年になります」と書いていて、そうそう「なりますように」じゃなくて「なります」の方がいいなぁと思いながら、予言したいわけでもないし…と、自分の言葉でまとめた結果でした。結果的に、神社で神様とお話させてもらう時とほとんど同じ内容になっていました。
「新年あけましておめでとございます。本年もよろしくお願いいたします。2024年も素晴らしい年で、 2025年もまたそうなりますね。笑顔を忘れずに。いつもありがとうございます。」
↓お話に出したさとうみつろうさんの本。もう発売から7年たったの!?20万部突破すごい。かなり長いし受け取れるところだけでいいと思いますが、このnoteが何となくいいなと思った方には何か良いヒントがあるかもしれません。よかったら年始にぜひ。
↓電子版はこちら
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