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ミッシェルはもう聴けない(上)

元来わたしはひねくれ者で、みんなが好きなものは好きではなかった。

音楽がとても好きで、一番古い記憶は、おとんの車の中で常にかかっているビートルズで。今でも大好き。

原点

小学校高学年からFMにハマり、J-ポップの虜になった。
中学校では、コンパスで机に大好きな歌詞を刻んで叱られた。

今でも覚えているし、大切にしている。
「終わりある人生 一番大切なことは 愛する人に愛されてるかどうかということだ」

KANちゃんが幸せで音楽してくれることを願っている

高校ではバンドを組んだ。

ビートルズ、プリプリ、ジュディマリ。
上手くなかったけど、ギターもベースもキーボードも弾いた。
幼少期からしたピアノと同じで、あまり上達しなかった。
でも、運動はセンスなし、勉強はやればそこそこできるけど好きじゃないわたしにとって、音楽に触れられることは喜びだった。

あろうことか、文化祭一週間前に、原付の2ケツで停学になりライブできなかった。
今でも後悔しているし、メンバーに顔向けできない。


進学校でいやいやながら、それなりのガリ勉でもあったので、受験はそこそこ頑張った。
山崎まさよしの「one more time,one more chance」に衝撃を受けて、予備校のついでに一人で「月とキャベツ」を見に行った。
悲しいことに、周りの誰とも趣味が合わなかった。

まさよしの彼女になることを夢見た

高3でMichael Jacksonが来日。東京へ行きたいといったら、おかんに怒られた。

ポップスで最高だと思っている


頑張ったわりに志望校は全落ち。
まあ高望みだった。
都会の田舎だから普通といえば普通だけど、家から一時間半もかかる大学に行くことになる。


そこで運命の出会いをしてしまう。
必修で仲良くなった子が、ゴリゴリのバンギャだったのだ。
仲良くなって、夏前にはチキンジョージに連れて行かれた。

Thee Michelle gun elephantを初めて見たわたしは、今まで見たことのないかっこよさに倒れそうだった。
そこまでに経験しているライブは、KAN、ゆず、スマイル、ミスチル(チケットいただいてラッキーですよね)、ACOくらいかな。

ACOやCHARAがわたしの女の部分を形成した


青春のシンボル


そもそもダイブで人が降ってくるライブははじめてだ。
バンギャな彼女はメンバーの泊まりそうなホテルに泊まるとのことで、わたしは汗だくの体を引きずって、呆然としつつ、一人で家路についた。

19歳から25歳までめちゃくちゃに愛した

また大学のしろい机に歌詞を落書きした。

「こめかみ指で こじあけてから 意識とばして逃げるよリリィ」

何回聴いてもあんまり意味はわからなかった。
でも、狂うほど好きになり、大阪神戸のワンマンライブは多分全部行った。

わたしはゴリゴリのバンギャにはならなかった。

クラシックギター部に入ったので、その中でも音楽の趣味が合う彼氏と付き合った。
五年お付き合いして、ミッシェルの解散したあと、何故か別れてしまった。

そのあとも、ゆらゆら帝国、モーサム、髭…ひたすらバンドを追いかけた。
ライブハウスがとてもとても好きだった。
一生ライブハウスに通い、一生フェスに行き続けると思っていた。

これまためちゃくちゃに愛した

そのあとも音楽の趣味の合う男性ばかりと付き合い、なんかだめになってを繰り返し、今の夫と出会う。
ego-wrappin'や、クレイジーケンバンドで趣味の一部が合い、少なくなったがライブに行った。

中納良恵が女性ボーカルで一番好き
大変に性的魅力を感じる


フェスも一緒に行ったが、突き詰めていくと趣味がズレているので、気づかないふりで重なる部分だけを楽しんだ。

結婚式はOrange pecoeの太陽のカケラや、ego-wrappin'のByrdを流した。

そして子どもが生まれると、わたしは雌の本能なのか、自分の好きだったものに興味がなくなってしまった。

アンパンマン、おかあさんといっしょなどなど、娘が好きなものを好きになった。

まじで全力で踊っていた



それは、一年間の育休中続いた。

いちにーさん!いちにーさん!いち!にー!さーん!

毎日支援センターに通い、娘と歌い踊り、それまで知り合うことのなかったおっとりとしたお母さん方と仲良くなった。
もともと順応しているようにみせるのは得意だ。
もっといえば擬態が得意だ。


育休中に、大好きだったMichelleのギターのアベフトシが死去したことを知る。
スーパーに行く車の中のFMを聴きながら、青春が本当の本当に終わったような感じがして、泣いた。

鬼神社はもうみることができない

享年42歳。
わたしは30歳だった。

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