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因果の道理

四ヶ月振りに出会う西岡瑞樹はどこか大人びていた。今、俺は彼女に連れられて都心のピアノラウンジにいる。これから一曲演奏するらしい。
 
「意外ですか、ピアノ続けてたこと」
「はい、正直」
「でもプロを目指すのは止めました。趣味で続けようかなって」
「こういうところで演奏できるだけで立派なプロですよ」
「セーラー服のアドバンテージ、なめちゃ駄目ですよ」
 
彼女はオレンジジュースを飲み干して言った。
 
「あの家を出ていったのって、私のせいですか」
「違いますよ」
「でも、きっかけにはなってますよね」
「それはそうかもしれません。でも根本の原因は全て僕にあります。遅かれ早かれそうなっていた。寧ろ早めに気付かせてくれたことに、瑞樹さんには感謝してます」
「気付いたって、何をですか?」
「因果の道理ってやつです」
 
彼女は少し考えて口を開いた。
 
「十年演奏したから出来る演奏があれば、十年演奏したから出来ない演奏もある。一年しか演奏してないから出来ない演奏もあるが、一年しか演奏してないからこそ出来る演奏がある」
「誰かの格言ですか?」
「お兄さんの、です。人の心も同じだと私は思います」
「それはどういう…」
 
俺が言い切る前に、彼女は入り口に向け手を振った。彼女の両親が来店したのだ。二人は俺に気付き、軽く会釈をする。母親が俺に話しかけてきた。
 
「ご無沙汰してます。すこし痩せました?」
「はい、どうも。その節は失礼しました」
「いえいえ、娘の演奏、楽しみにしててくださいね」
「何でプレッシャーかけるかな?」
 
瑞樹さんは眉間に皺を寄せ母に言った。母はペロリと舌を出す。前の奏者が演奏を終え、瑞樹さんに目配せする。どうやら彼が店長らしい。
 
「じゃあ弟さん、お楽しみに」
 
彼女はピアノと向き合う。両親は間近に座り、彼女の雄姿を眼前に眺める。兄の演奏を眺める俺達家族も、こんな背中をしていたのだろうか。緊張感が空間に満ちる中、彼女は弾き出した。『エリーゼのために』
 
…俺は嘗て、彼女の演奏を味気ないと思った。下手糞とも形容した。あの頃に比べ技術が格段に上達したわけでは無い。でも、今の彼女の演奏には心を擽られるものがあった。アルコールのせいかもしれない。俺は思った。『これは俺のための演奏だ』彼女の両親もそう感じているのではないだろうか。ものの三分間の短い演奏を終え、彼女は瑞々しい笑顔で立ち上がり、お辞儀した。温かい拍手。父親が奥さんの背中を擦る。瑞樹さんは嬉しそうにその二人に話しかけに行く。
 
立ち会えてよかった。俺達家族は失敗したけど、きっとこの家族のこれからは大丈夫だ。西岡家族が俺の傍に来た。
 
「どうでした?」
「良かったです。本当に」
「やった」
 
彼女の子どもらしい笑顔を俺は初めて見た。
 
「リクエストしたら、もう少し聴けますかね」
「あー、嬉しいんですけど、今日私は前座なんで。女子高生はこれにて退散します」
「まあ、夜も遅いですしね」
 
俺は母親に言葉をかける。
 
「以前僕が言ったこと、訂正します。すみませんでした」
「でしょう?反省してください」
 
母親は悪戯に微笑んだ。その顔は瑞樹さんの笑顔と似ている。この二人はやはり親子らしい。
 
「では、私たちはこれで失礼します。よかったら、またご一緒に食事しましょう」
「はい、機会があったら」
 
多分、その機会は二度と無い。西岡家族は睦まじい背中で店内を後にした。次のピアニストがパーテーションの奥から現れピアノの前に立つ。その男は俺を見つけ、手を振ってきた。
 
兄だった。

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