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小さな愛憎体験
おーい、助けてくれ!
ある戯曲のタイトルだ。作家はウィリアム・サローヤン。20世紀を生きるアメリカの市井の人々を温かい眼差しで描き続けた劇詩人。氏の作品は全て深い人間愛の慈しみに溢れている。苦難の人生を歩み、努力家でインテリ、何よりハンサムな彼が私は好きだった。ある情報を仕入れるまでは。
「彼はギャンブル凶で家庭内暴力を振るっていた」
彼はDV男だった。さして珍しい話でもない。作品と作家の思想は必ずしも交わるものではない。理解していたつもりでも、私はショックだった。
裏切られた、という言葉がしっくりくる。私は彼との面識が無いのに、勝手に彼に信奉し、勝手に失望し、勝手に裏切りを味わっている。私の中で彼は「私を傷付けた加害者」で、私は「彼に傷付けられた被害者」である、この意味不明な論理がまかり通っている。
この体験は新鮮だった。以降私はサローヤンの作品を観ない、という小心的な行いでささやかな復讐を謀っている。同じ時代を生きていない彼に「私はあなたを認めない」と何とか表明したいのだ。脆弱で寡黙な復讐行為によって。
彼からすれば「なんのこっちゃ」と肩を透かすだろうけど。誰から見ても無意味で自己満足に過ぎないだろうけど。私にとっては大切な復讐だから。
私は彼の作品を観ない。
内心、とても観たい。
私の小さな愛憎体験。