ぼろよいの過程/夏の夜の仮定(いつかだれかが、いつかだれかも、すごした、いろんな夏。)
すでにビールを一本のんでほろ酔いの僕である。飲みながら気分転換に自分のページを色々リフォームしてみていた。なんなら過去記事のTOP画像まで変えてみた。しかし、字体がいまいちである。しかししかし再び作り直すのはもうめんどうなので、この記事からなおすこととする。そんなこんなで1本飲み終わっているので、もう1本持ってくる。いつもの発泡酒 濃い味である。
さてさてでは皆さんお手を拝借、皆それぞれ飲み物は行き渡ったかな?
では、改めまして、「カンパーイ!」
てなことで鹿田です、よろしく。杯を空けて、あけてすてきな夜をすごそうではないか。日々何もないが、日々なにかあるのである。今日の僕なら明日の休日に、乾杯と口ずさみ、とくとくとそれを体に含ませては上目遣いに日曜を覗き、(明日は何時間眠れることかしら、いひひ)と涎を垂らす。職場の読書仲間から今の僕に必要そうな『傲慢と善良』なんてタイトルの本を借りたから、もし起きたならばそれを読もう。それくらいしかタスクのない日曜日とはなんと神々しいのだろう。(あ、ちゃんと華氏451度も読むよ、ちゃんと、ちゃーんと)おお、今日まで差し込んでくる。しかし残念土曜の僕にその神々しき光は、目を閉ざすことを手伝う睡眠導入剤にしかならない。日曜日という名の睡眠導入剤を含み、僕は大の字になり再び五体投地・転にて夏の幸せを祈る。日曜日の幸せは時に鹿田に興奮を授け、あさき眠りに深夜目を覚ましてしまうこともあるが、そんな時、カーテンをそっと開けると月のやつが酔っ払って千鳥足で空に帰っていたりする。僕は少し心配して上空にたどり着くのを見届けては布団に戻るが、その記憶まではあるのだが、翌日目覚めるともうあたりは暗く夜の香りを漂わせているのである。そして止めの頭痛坂東太郎こと利根川如くうねり蠢く血流に悶え、再び眠るのが素晴らしきわが休日のルーティンなのである。夏の間に手放したと思えた名誉出不精もすっかり故郷に戻り、馴染みの顔で肩を組んでは僕のそばを離れない。僕とて、拒否の意はなく、やっぱり俺たち二人でひとりと、るんるんと出不精と肩を組んでスキップしている。でも出不精だからそこから発展することはなく、家にこもってお互いの顔を見てはにたにたと笑い続けるのである。とま、内面は実に濃厚に休日を過ごしているのであしからず。
さて、閑話休題話を戻す。え、この記事に大本の筋なんてちゃんとあったかって?何を仰るみなさん、ちゃんとこの記事にも大筋はあるにきまってるじゃないですか。休日前の1杯、そのアテの記事である。飲みながら適当にかきあげていく記事ほどのすてきな酒の肴なんてない。♯ほろよい文学 なんてタグがあるが、もしそれを利用すべきなら、僕は毎回付けなくてはいけないので、面倒くさいので辞退しているのである。それに今はまだほろ酔いの自信はあるが、最終的にひとつの作品ができあがったとき、ほろ酔いかぼろ酔いか定かでないので良心の自粛である。
さてぼろ酔いになるまえに、言いたいこと言ってこの記事をかきあげたいと思うが、そういえば夕食をとっていなかったことを思い出して、パンを一切れ鹿田はもってきた。かぶりつきつつまた続きをつらつらと書き連ねる。パンで思い出したがそういえば最近夏を感じたくてまたねじまき鳥の第一部だけを読み返した。文学とかよくわからんけれど、ねじまき鳥第一部や、風の歌を聴けはほんと、夏の空気をありありと感じさせてくれるすてきな小説だと思う。子供の頃はそれが銀河鉄道の夜であったが、ビールを覚えてしまった今ではやはり、ねじまき鳥第一部が捨てがたい。読んでいるだけで少しだけ夏にトリップすることができる。先日はキューブリック三昧の休日を過ごしたから、明日はすこし、夏が舞台の日本映画でもみてみようかしら。ぱいかじ南海作戦とかサマータイムマシン・ブルース、あんな感じの映画が好きだ。ぱいかじ南海作戦を考えると同時にうみ、そら、さんごの言い伝えを思い出す。(あれはアマプラとかには上がってないのかな。)そして芋づる式に椎名さんの旅エッセイ(怪しい探検隊とか)が読みたくなり、黄金時代や哀愁の街、銀座のカラスが読みたくなる。僕が中学生の時に大好きだった本たちである。中学生の僕にとって、椎名誠は憧れの存在だった。
骨フィルム、明日探してみよう。自走式なんとかって本もあったな。
少しずつ微睡んでゆく僕である。また僕の適当な語りに付き合ってくれてみなさんありがとう。みんなも酔ったかな?或いは夏を感じたかな?ノスタルジックサマーに、少し、いたかな。そうなら嬉しい。僕は自分勝手に文章エゴイストとしてつらつら己の赴くままに描いてゆくけれど、その中にだれかの円が(或いは縁が)、少しでも重なるなら嬉しい。僕は孤独にどくどくと描いてゆくのが好きだけれど、(そうそう、そういうことある!)って思えてもらえたらなと、いつも片隅に思っているのだ。骨の髄まで、文章エゴイストの液は満たされている。
否、それは文章エゴイストというより、夏エゴイスト、或いは共感エゴイストか。
だれかもいつか、夏にいて。夏に、夏の風を感じて、吸い込んで。汗ばむ夜風を感じて、ビールを交わして、或いはラムネを交わして、自転車で町を駆け抜けて、森で迷子になって、裏路地の風鈴の音を探してさまよったり、だれもが。
だれもがそれを、経験した。いつかの夏を経験したと、証言してくれることを望んでいる。
ハイッ!ぼろよいの出来上がり。
ここまで付き合ってくれてありがとう。
では、またね。
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