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夏や色々、近辺

久方ぶりにnoteに舞い戻ってきた。仕事のピークは年末かと思えば年度始めがピークだったのである。まあ、その中でも暇を見つけては本を色々読んではいた。今年の本屋大賞が発表されていたのをしり、今はもっぱらEvernoteを活用しながら「同志少女よ、敵を撃て」を読んでいる。カタカナの名前が覚えられない病の鹿田は登場人物の文字を見た途端に諦めを悟り、Evernoteを開き、登場人物やらを書き連ねた。ま、これを一度作ってしまいさえすればスマホをそばに置き登場人物の名前が一致しなくなったときにすぐ確認することができる。それから知らない言葉は調べて書き込めるし、知らないものなら調べて写真ごと貼り付けてしまう。なんと使いやすいツールであることよEvernote、その名のごとく永遠に手放せないわ。

そんな感じで鹿田です、よろしくね。

あとは相変わらず言語学の興味は尽きないでいて、僕にしては珍しく未だあれだこれだと調べたり読んだりしては感心している始末だ。併読なのでまだどれも読み切っていないのだが 「言葉の発達の謎を解く」(今井むつみ
言葉をおぼえるしくみ~母語から外国語まで」(今井むつみ 針生悦子)なども新しく手に入れてはふむふむと呼んでいる。「言葉の発達の謎を解く」は色々と実際赤ちゃんに実験に参加してもらってその考証をしているので、とにかく読んでいて様々な発見があり面白い。こちらは文体自体も読みやすく、ゆる言語学ラジオでも中高生でも読める難易度といっていたがまさにその通り。「言葉をおぼえるしくみ」はまだちらちらと目を通した程度だが専門用語が多く、腰を据え読まなければならない本のようだが、今興味のベクトルが一直線の話題であるから一度没入してしまえば読み切ることもさほど難しくないだろう。

また、たまたま本屋をぶらぶら歩いていたら見つけた本だが「発達障害と呼ばないで」、これもまた想像を超えて興味深い内容で、10年以上前の本であるのに新しい発見があった。とにかくいまいち全体像がつかむことのできていなかった愛着障害について、イメージを持つことができて嬉しかった。他にも何故今発達障害児・者が増えているのかその背景も興味深く考察してある。発達障害と愛着障害はなぜ似ているのか、などそこらへんもまたわかりやすく解説してあり、大変分かり易い良書だ。そして本の内容自体も、タイトルから発達障害を対象に書いているように思われるが、どちらかというと愛着障害を中心に描かれている。愛着障害について知りたいなら、まずこれを読んでおけば間違いない1冊だと思う。それでもう少し詳しく知りたくなったり、他の意見や考察も知りたくなったら他の本を探せば良い。とにかく導入本としてはわかりやすくて最適ではないかと感じた。

あ、そしてピダハンは相変わらず最終章のみを残して積読である。このまま積読の沼の深みまで沈んでいきそうな気がするが、まそれもよしだ。本とは奇跡的なもので、あるいは潜在意識の仕業でもあるが、いざ今必要、今読むことが最適と思われる場面が来るのである。そして最適の時機に読まれてこそその本は120%の力を発揮する。或いはここぞとばかりに貪欲に余さんとばかりにダイソンの掃除機如く吸い込む。中村文則の教団Xが1年の歳月を経て再び捲られた、時間を持て余す事となった濃厚接触者疑いの、あの2週間のように。あのときはアホみたいに集中して読めたっけ。そしてあっという間に読んでしまった。とにかくそういうものである。

など放言し、調子が乗ってきた鹿田はもう一本発泡酒を持ってくる、あ、そういえば乾杯忘れたな、まってね、2本目でやろう。

カプス、夏に乾杯!

とま、大見出しをインパクトに使うというファインプレーを魅せつけてみて、みんながあっけにとられているうちにキーを打つ手をとめてビールを飲む魂胆だ。うまい、2連休前のビールは旨いなあ!

急な気温の上昇に桜は見る影もなく散り、まあ僕としては花なんてどうでもいいので予定より早くくるであろう初夏に一喜一憂していたのだがなんの仕打ちであるのか昨日今日と急激な気温低下に朦朧と現実逃避をする鹿田であった。しかしま、三寒四温さえあれど、冬に逆戻りすることなど無いのだから、(ま、気楽にやっぺ)と結論付け、またこうしてへらへらとnoteを書いているのである。あ、団子はもちろん食った。花など見なくとも旨い団子は旨いのだが普通の人は桜の魔法にまんまとかけられて桜を見るから団子がよりおいしいと感じてしまうのだ。まあ長い年月をかけて培われた伝統的日本の"春ブラシーボ"であるから、それが正常であるのだが、僕は春にいたとて夏のことしか考えていないので唯一そのブラシーボから抜け出すことのできる選ばれし日本人なのである。えへん。

それから今年1回めの暑気払いを先日終えた。気のおけぬ仲間とてんやわんやとネットを介し酒を酌み交わした。一次会はシューティングゲーム(スイッチ)二次会はいつもの麻雀(雀魂)である。麻雀は全然勝てずに終わってしまったが、そんなことなんてどうでもいいほど暑い夜に、少し網戸を開けてはまだ長くは保てない居心地の良さを噛み締めながら、だんだん、だんだんなと夏を慈しむような心になれたことがよかったなあなどと一人しみじみ祭りの後に考えては布団に潜った。と、思えば翌日日本語をよく知らぬと思われる夏の気配のやつが「払われてしまったー」と何処かに消え去ってしまったのである。(この場合、暑さを払うのは我々である)もう少し日本語を勉強してほしいと鹿田は窓の外の冷たい空気を眺めて愚痴ったが、もうとっくに去ってしまった暑気には響きもしなかった。

早く夏の気配よ帰ってこい。と思いつつも相反して締め切った窓越しに網戸を眺めてはその奥の夏の気配を待つ日々は、それはそれで良いのだ。来たら去るだけ。ならば早く来いと待ち遠していくしているこの状態の僕の心はわくわくとなにか今年の夏への期待で胸いっぱいになっている。来れば矢の如くさる夏を考えると、いまこそが至高なんじゃないかとおもうのだ。けれど、体験しないとはじまらなくて。経験しないと感覚も薄れる。
夏バカとは、なんと大変であろう。自ら座した境地であるが。

そんな風にまた色々夏を妄想したいので、今日はこんな感じで終わる。
またね。



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