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ぶきっちょ鹿田とキリギリス

風の心地いい夜だ。一本飲んだビールの火照りが程よく、溶け込んでゆく心地がある。そのまま身を任せ、夏に沈んでいきたいけれど。

どこからともなく煙る匂い。それはもしかしたら、網戸の埃の匂い。今時、夜に火を焚く家などないし、花火にしてはまだ早いだろう。その上、静かな静かな田舎ときている。温泉街のはずれ、そこでパソコンを開き、打っている。

鹿田です、よろしくね。

ミンミンゼミは聴いたし、ヒグラシも聴けば、夕方の夕焼けも赤〃と美しかった。雨さえ降るけれど、それは次第に止む定めがある。けれどなにかひとつ、落ちないものを喉の当たりの違和感にして、僕はキーボードを叩いている。半袖の袖口からしみこむ夜風に、満更でもないくせに。

それは、酔ったからなのか、酔ったせいなのか、…僕にはわからなくて。

日中となればその暑さに、茹だる暑さにすべてを忘れてハイに生きることができる。それこそが夏の奇跡だと、以前詩にしたけれど。けれどそれが答えなのなら、夜は一体どうしてやり過ごせばいいんだい?静かな虫の音に身を寄せて、僕は黙ってつったってる夏のほとり。けれどちっとも、いつまで待っても答えなど生まれやしないよ。深層心理が、抑圧してるんだ。それも分かっていて尚、二分する心はいつまでたっても元の鞘に戻ろうとはしない。いつからだろう?いつから。

そうして汗疹を掻きむしる。治りそうだった汗疹を掻きむしって搔き壊す。その衝動はよく知っていて、みんないろんな形で発しているね。その中の一人だ、というどうしようもない属、だ。(ほら、冷めた後見てごらん、詰めの中に無残な僕が摺れる摺れる)そして、虫、小さな虫が目の前をゆらゆらと飛んでいく。風のまま、浮かぶように飛んでいく。そこに何か思うが、なにもできずに網戸を開けては逃がす。そしてまた新たな虫を迎え入れる螺旋状の季節が今。タンタンタンと歪に響く深層心理の螺旋階段は、所詮まやかしなのにホラーゲームばりの音響で頑張っている。ほら、もうひとり、分離。

分離とは、なんと容易い。

けれどその僕の分身には、元が僕なだけあって共通点があり、臆病なのだ。螺旋階段を下りれば降りる程また1つになっていく。そして重なった声は反響し、あまりにも滑稽に「もう、やめよう」と言う。「うん、もうやめよう」早く戻って、布団に入って明日を迎えようよ。明日も雨だけれど、そしたらまた眠ろう。いつか晴天にたどり着く。それが、呪文だ。ああ、飲み会の1つでもあれば、そんな憂鬱すべて綺麗にぶっとぶんだけどな!

なんて言って、僕はせいぜいにやけているよ。不器用な自分に嘆きつつも、その全てひっくるめてにやけている。なんでかわからないけれど、自然と口角は上がるんだ。また煙の匂い。どこかで何かが燃える程、夏の芯は熱いから大丈夫。って、夏が言っているようだ。なら、信じよう!もしかしたら、本当に誰か花火やっているのかもしれないし。左の足首が痒い、虫に刺されたかな。虫…そう思ってふと網戸を見るが、今日は大していない。いや、小さな蛾だと思っていたものも、よく見たらただの埃だった、1匹もいない。1匹もいないってのは、なんか不思議だな。蛍光灯つけて、真っ暗な田舎の世界に網戸越しにこんだけアピールしているのに、虫の1匹も寄りついてくれないなんて、不思議だなぁ。

風鈴も。

風鈴もよく見れば左右に揺れているが、音までは鳴らない。家の前の草むらでは虫が小さな声で遠慮するように鳴いているし、蛙なんて1匹も鳴いていない。静かな静かな夏の世界だ。でもきっと、こんな待っているだけだからダメなんだよね。僕から入っていかないと、夏の世界に、生意気に、土足で。そうなんだ。

背に翅つけてさ。賑やかにやってんだろ本当は草むらの中で、虫たちよ。夏だ夏だと宴会騒ぎをよ。まぜてくれよ。陽気に鳴くからさ、音痴だけど頑張るよ。君たちと祝杯を上げたい。そうでないと、夏なんて始まらない。親交深めようよ。それでぼくんちにもよく来てくれ。楽しみなんだ。賑やかにやろうよ。特にキリギリス、君には親近感が特に湧く。

夏歌うものは冬泣く

蟻の食糧庫なんか狙わなくても、友達になってくれたらいくらでもあげるよ。キュウリだってナスだってかつお節だって与えるからさ。一緒になこう。鳴いておくれよ。

ギッチョン、ギッチョン。


おわり


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