夏に、礼っ!
夏にかまけて本を読み耽っているこの頃である。読書が楽しくて仕方なく暇をみつけてはページを捲り、常に2冊は持ち歩いている。通勤時とてオーディオブックにてなにかしら本を聴いている。(ちなみに現在は「夜は短し歩けよ乙女」を聴いている。贔屓作家の1人の森見登美彦さんの著書である)僕にとって、読書とは夏である。夏と僕を繋ぐ一つの架け橋である。
鹿田です、よろしくね。
毎朝にやけて目覚める。ひとつは鳥の声、この時期独特の鳥の声がまず夏だと伝える。もうひとつは日差しの強さである。地球の傾きという奇跡の成す技である。そのことを思い出す度僕は太陽の方を向き五体投地にて祈りの言葉を捧げる。そして立ち上がりチベット仏教に倣っては聖地常夏を目指すのである。とま、それが理想ではあるのでがそれで疲れてしまってひと夏の間寝込んでは元も子もないので端折り、朝はおひさまをみつけておはようと声掛け、夜には酒を飲み、五体投地・転、にて背中側から五体投地を行っては夢の中で果たすべき夏の正体の発見を祈るのである。そして無の境地でぐがーぐがーと経を唱えたなら完璧ではないだろうか。我ながら関心する。
あ、もちろん肝心なことは忘れていない、これは今まで語ることはなかったが実は鹿田の特技なのである。この偶然も我が唯一神、スイカ神の思召であろう。チベット仏教の唱和には倍音、いわゆるホーミーも扱う場合があるのだが、実は以前僕はホーミーができるようになりたくて練習していた時期があり、初心者程度のホーミーなら可能なのである。すごいだろ!
ホーミーにであったのはたまたまである。本当にたまたまなんの関連か知らぬがYou Tubeに出てきた。その名前と独特の音調だけは知っていた鹿田はせっかくなので聴いてみようとポチッと動画をクリックした。はじめに見つけたものはたしかクインテットだったと思う。なにかテントの中で5人の人間が楽器を演奏し、ひとりが歌を歌いその合間にホーミーをする、というものだった。その不思議な音に虜になり僕はもっとホーミーを聞きたくなり、「ホーミー」で検索した。
あ、ちなみにおすすめは(あくまで鹿田好みの話である。ホーミーの良し悪しなど、鹿田は全くわからぬ)
モンゴル国ホーミーコンクール優勝 Mongol Khoomei-MusicQlip
という動画である。もしホーミーを知らない人であればぜひ見てほしい。僕はホーミーに付いて詳しいことは一切知らぬが、そんな鹿田でもこれを初めて聴いた時、心が揺れ動いた。何度聞き直したかわからない。そして練習したのである。勿論、こんな風に響くように大きな安定したホーミーはできないが、初めてそれっぽい音が出た時、それはそれは感動したものだ。
そして鹿田の悪い癖でまだ中途半端なところで披露したくなり、早速直近の飲み会で(数年前のことである)披露したのである。まあ、しかしだれもそれがホーミーだとは認めてくれなかった。スマホに録音した我が口よりいでしホーミーは確かに倍音になっていたのにな。かなり練習もしたので認められないことが悲しかった。
本当にかなり練習したのである。なので数年立った今でも不意に「うぃいいい」とホーミー(もどき)をやってしまう癖が抜けていない。もし近くで急に「ふぃいいいい」と変な声を出している奴がいたらそれは多分鹿田か、もしくは同志のホーミーを認められなかった者たちだから、関わらずそっとしておいてやってほしい。
ま、今はもっぱら読書に集中しているのでホーミーが口からはみ出ることは少ない。素敵な本に出会い口からこぼすのは読後の深い溜息ぐらいである。
最近だと「こちら、あみ子」(以前読んだ「推し、萌ゆ」を彷彿とさせるが、読後感はそれよりもっと重かったように感じる。本題しか読んでいない)、「凍りのくじら」(なんで辻村さんの本ってこんなストレートに心に響くのだろう。そしてちゃんと最後に素敵な贈り物を残してくれる。鏡の孤城も最高だったなぁ)、「invert」(相沢沙呼のメディウムの続編、今回は短編集だった。読みやすく面白く、またトリックも素敵だった)、「羊と鋼の森」(調律師の話、あっさり読めてしまうが何度も読みたくなるようなスルメ本だった)、「店長がバカすぎて」(いやあ、笑った、こんなに笑える小説は久しぶりで最高に楽しませてもらった。笑いだけではなく伏線等もあって最後まで本当に飽きずに読むことができた。主人公の視点がすこしさくらももこのエッセイを彷彿させる)、「元彼の遺言状」(ドラマの2話を見逃したので結末を知りたくて読んだ。よく出来てる。さすがこのミス大賞)、ざっとこんなところである。本屋大賞をメインに読んでいる。
まだまだ読みたい本が増えるばかりで、それを思うと僕はなんて幸せなんだと再びにやりと口角が上がってしまう。
てなことで、またほんの続きを読みたいのでこんなところで終わる。