初夏の休日
紅茶を飲んでいる。随分こもった部屋の熱気が心地よくて、それを逃すことが惜しく中々窓を開け放つことができない。天敵花粉を侵入させることにもなるし。だから気怠き夏の午後を演出しながら、熱い熱い、紅茶を飲む。
さえない頭の重みを考える。後頭部から少し内部に食い込んだところ。肩こりもあるが先日整体に行ったばかりだ。それはそれは気持ちよかった。これは本当に今までと変わらない僕の部品ですか。と問いたくなるくらい一つ一つが綺麗に解れている。これを機にしっかり温存せねばと考えた僕はオイルを差し込み、ビールで注いだ。何事もまずは内側からというではないか。実は、過眠がその正体なのだがね。
まぁ、そんな感じの日常だ。
夏が近づくことに少し浮かれた心を故意に弄んでは、青い空を覗いて溜息を吐いている。それで結局まけて窓を開けてしまったのだが風が気持ちいい。そこはかとなく気持ちいい。そこはかとなく、という言葉は春によく似合う。べたついた肌からそれを取り払う風は一体、どこへ運ぶんだろう。
空気に蒸発する水分、それと身からでた淀みみたいなものまで。春風はさらっていってくれる。いや、今日の風は随分と初夏の風に近い。冷たくもあり心地よくもある。春風よりどこか清々しさのあるあの風だ。
時折強く吹く。木々が静かに騒めく。
真ん中に立つ僕。自然の偉大なる行為に魅せられて、ただただ溜息を吐くことしかできない。そしてそれは続く、風の吹く限り、僕は飽きることなく何度も何度も溜息を吐いてはその風の感触と音に全身の感覚を澄ませた。
巻きあがった砂ぼこりが目に入る。擦っては滲む涙がそれを除去して、また再び空を見る。目に残った水分を風が攫うとき、あの心地よさ。今ではそんなこともなくなったが、公園で駆け回って疲れ、一休みするときの体から熱を奪われる心地いい感触は、まるで初夏にいる僕を歓迎しているような、肯定しているような、そんな救われた気持ちになる。なぜ人間にとって季節とは、こんなに心地いいんだろうと考えた時ほど、心が落ち着くことはない。永遠の肯定なのだから。冬さえ、厳冬といわれた冬さえ、意外とそれを見出すことは容易い。ぼくは季節が好きだ。
そんなこんなで時刻は、もう夕方4時になろうとしている。
雲に覆われた今日の空だが、その隙間から放つ空の青はまだ昼の顔をしていてうれしくなる。はやく風呂に入って初夏の夕方の風を浴びながら飲むビールほど、おいしいものはないよね。そして風がまた遊びにやってくる。湯上りの火照った体にまたほのか冷たい風が心地いい。そろそろ作務衣もきれるだろうか。ぼくは夏場、夜は寝間着に作務衣を着ている。あのさらっとした服と体の隙間を通り抜ける夏の夜風は気持ちよくて、下駄の鼻緒の少し汗ばんだ隙間を通ってくれたら僕はまた溜息を吐いて目を閉じてしまうな。
まあ、それはもう少し遠いとしても、あと1,2か月も過ぎれば必ず蛙が鳴き出す。虫が鳴き出す。ホトトギスはもう少し先かな?だんだん賑やかになる自然の音も、僕を高揚させてくれる。静かな夜がないからいい。ラジオを聞かなくてもいい。虫たちがなく、動物たちが鳴く、近くで。それがとても心地よくて仕方ないんだよね。
ああ、考えたらもうずいぶんとまた夏が近くなった。もういや、今日を初夏としよう僕の。
夏だ、もう夏。