鹿田夏に浮かれて本の虜
最近また本を読みだした。つい先日ピースの又吉の「夜を乗り越える」を読んで芋づる式に今度は、太宰治を読んでいる。
太宰治。
何故かこれまでの読書遍歴の中で、太宰には突き当たらなかった。芥川龍之介、夏目漱石、梶井基次郎と読んだか何故か、太宰は読まなかった。難しそう、と、正直つまらなさそう、という偏見があった。なんなら走れメロスさえしっかり完読したかも怪しい。
しかし、今やっと太宰に出会った。
人間失格を読んでいる。まだ中盤だが、面白い。多分それは夜を乗り越えるを先に読んだことが大いに一役買っている。なぜなら読めば主人公の大庭葉蔵を、頭の中で又吉にイメージすることで想像が容易になったのだ。序章のあたりなど、夜を乗り越えるそのままである。感化されてあたりまえだなとしっくりきて、ついくすっと笑ってしまった。理解できるとは、なんと嬉しいことか。
読書家の方なら日常茶飯事だろう。作者の紹介する本を読んでその作者の影響された本を読んで、無限に掘ることのできる最高の発掘作業だ。その関係性を想像することもまた一興、本当に本の世界とは無限だなとつくづく思う。
ちなみに今それと併読で「蝿の王」を読んでいる。たまたま赤い表紙が目に止まり、ジャケ買いをしてしまった。そしてとんでもない勘違いに気づく。あらすじを読むと鹿田の記憶と全く違うのである。あれ?奇怪に変異もしなければ蝿の1つもでてこないぞ?
そう、鹿田はザ・フライと蝿の王を混合し、勘違いしていたのである。
あーはずかしはずかし。
そんなこんなで読み始めてみれば、序章だけ見た限りでは登場人物がスタンドバイミーを彷彿とさせる。しかも舞台は南の島、その冒険物語。但し、あらすじを読む限りではただただ青春ストーリー!という訳でもないようだ。どんな展開がまっているのか!高鳴る期待を抑えつつ、じっくり読みすすめることにしよう。
他にも「悪いものが来ませんように」、やゼ「ゼロエフ」を最近読んだ。悪いものが来ませんようには良質のどんでん返しミステリー。読み応えがあったし久しぶりの心からすっきりするどんでん返しに脱帽である。
ゼロエフは福島出身の作家、古川日出男さんのエッセイ。震災後の被災地を自らの足で歩いた数日間のルポエッセイだ。是非たくさんの人に読んでもらいたいね。それとは別に鹿田は古川さんの噛めば噛む程味が出るような文体が好みで仕方ない。大江健三郎さんの文とかね。
いや、大江健三郎さんの文体について、鹿田はしっかり理解できて面白いと言っているわけじゃない。そんな大それたことは言えないが、あの文は噛めば噛むほど楽しいのである。そして想像の余白が広い。言葉を噛み締めながら、こういう意味かな?それともこういう意味かな?
その考えることができる時間こそが、読書の至福ではないだろうか。
最高だよね!
ではまた!
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