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令和に半纏買ってみた

去年はヒートテックインナーに靴下、フリースと防寒グッズを買い足した生粋のユニクロ信者である私が旅先で見つけて急遽買うことになったのが綿入れ半纏(わたいれはんてん)だ。

「半纏」
江戸時代、特に18世紀頃から庶民の間で着用されるようになった。主に職人や店員など都市部の肉体労働者の作業着として戦後まで広く使用され、労働者階級を示す「半纏着(の者)」という語もあった。さらに防寒着の「綿入れ袢纏」があるが、同じ袢纏と言っても印袢纏とはまったく違う用途と発祥文化がある。
---『ウィキペディア(Wikipedia)』より---

江戸時代から着られている防寒着は、現代で着る機会は旅館くらいでしかないと思っていたけど、田舎のじいちゃんなんかが着ているような印象がある。

今回の出先は福岡県の久留米市。ふらっと立ち寄った店に入ると早速目について眺めてみると、地域性が出ている厚かましいおばちゃんがいた。店の奥にかかっている半纏が似合いそうな雰囲気なので、とにかく一度着てみろと勧めてきた。着たら欲しくなっちゃうでしょうが!袖を通して鏡を見ると、案の定綺麗で深い青、細長い縦線の入った半纏をばっちりと着こなす自分がいた。価格はフリーサイズで5300円くらい。LLサイズだと6000円いかないくらい。部屋着る目的だとユニクロのフリース上下が2個買えるくらいの値段なので少々お高いかもしれない。LLだとお尻の下まですっぽりと隠れてしまう、まさに着る毛布だ。袖の部分は通常8分丈くらいだが、大きめのサイズだと長袖に近い。1番気に入った柄がLLサイズだったが、様になっている自分の姿を見ていると購買欲が高まってくる。ええい、こんなところで出費を増やしてたまるか!半纏を元のハンガーにかけてと逃げるよう店から出たのであった。後から出てきた友人は作務衣を買っていた。
「家で作務衣着てるんです」って言いたくて、ね。

宿に戻り、あんなに素敵な上着を着て家で過ごすことができたら在宅勤務中も気分が和やかになるんだろうなと思い、もうあの店には行くことができないのかと心を曇らせていた。当時の半纏をまとって机に向い書籍を書く文豪たちを想像すると、なんとも趣深い姿を想像させた。宿までの電車で何度もググってオンラインショップを探した。半纏はネットでの販売もしておらず、ああなんで私は買わなかったのだろうと後悔しながらその日は眠りについた。

翌日、向かったのは久留米から北へ太宰府市。夕方の飛行機に乗る予定だったので数時間の観光をすることにした。何度も来た大宰府天満宮で一通り参拝を終えると、道端で梅ヶ枝餅屋を探す。「かさの家」が有名で列ができていたが、個人的には「きくち」の餅が1番おいしいと思っている。お土産用と食べ歩き用と購入して、道端で頬張る。外の皮がパリッとしているのがこの店の特徴だ。目の前に不思議な模様の湯呑が置いてある陶芸店があったので立ち寄ってみた。独特な形の灰皿入れやスイテキを見ていると、専門的な知識は無いが不思議と心が落ち着いた。近くの山麓にある竈門神社が最近人気になりつつあるらしいが、そのもっと上で主人が何十年も焼き続けているらしい。世間の流行りにも関わらず自分を貫くことが素敵だと思う。

そんな話を後にして、再び歩き始める。あれ、この店って昨日もみたことあるような、、まさか昨日と全く同じ店?入ってみると半纏が売っているではありませんか!いらっしゃい。
「どこから来たとですか」
「関東からです。昨日久留米の方でこれと同じ半纏を試着したんです。買いそびれてしまって後悔していたんですけど、またこの店に出会えるなんて。思ってもいなかった」
「あらあ、それは運命的ですね。また着てみます?」
昨日も着ているのでサイズ感はもちろん全く変わらなかった。昨日LLで置いてあった、素敵だと思った柄が普通サイズで売られていた。こんな偶然ある?寧ろ昨日買わなくてよかったのかもしれない。
「高齢化でね、なかなか作れる個数も少なくなってきているんです。どんどん流行らせてください。」
「これ、買わせてください。同世代の中で1番半纏が似合うようになりますんで。」

背負っていたリュックサックにビニール袋でぎゅうぎゅう詰めにして押しこむ。秋晴れの太陽が西へと傾いていく。不要なものは買わない風潮があっても、要らない思い出なんて無いと思うのだ。

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