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《週末アート》 日本画メーカー “狩野派”とは!?
《週末アート》マガジン
いつもはデザインについて書いていますが、週末はアートの話。毎日午前7時に更新しています。
これだけ知ってほしい3ポイント
狩野派とは、室町時代から江戸時代まで続いた御用絵師の組織
御用絵師(ごようえし)とは、幕府や大名たちのためのインハウスデザイナー
狩野派の特徴は「力強さ」:力強い、岩、枝、動物(虎、鷹、鷲など)が登場したら狩野派
”狩野派”とは!?
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前回、土佐派について書いたので、土佐派と日本の画壇(絵の業界)でしのぎを削った狩野派について、今回は紹介します。狩野派は、室町幕府(1336-1573)の御用絵師(後述)に取り立てられた狩野正信(かのう まさのぶ)に始まる画派、日本画の流派です。この流派(ブランド)は、江戸時代末期(19世紀)まで、およそ400年続きます。仕えた将軍たちや幕府は、室町幕府、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康およびそれ以降の江戸幕府。名門!老舗!……アートと言うよりまるで服飾や宝飾のブランドのよう……。実際、そのとおりなのですが、ではアートとして価値が低いかといえば、そんなこともありません。しかし狩野派が担った(狙った)のは、自己に湧く見て思って捉えた世界の再解釈を世に問う姿勢ではなく、城や寺をオーナーのニーズに応えて装飾するという「機能」でした。ゆえに、その本質は、アートというよりはデザインです。アートとデザインの違いについては、こちらの記事にも書いていますが、「アートは問いであり、デザインは機能」です。
御用絵師
御用絵師(ごようえし)とは、幕府や諸大名に仕えた絵師(えし)たちを指します。絵師が何をしてきたのかというと城や寺の障壁画などをせっせとオーナーの意向にそって制作することでした。たとえば、徳川家康のよって建設された京都にある二条城(書院造で有名!)の二の丸御殿のなかには1016面もの障壁画があります。これ、ぜんぶ描かないといけないので、御用絵師たちは、手法を統一し、または種類を用意し(「こちらの三種類からお選びください)、効率良く、しかしオーナーの威光を表現できるようにクオリティも高い絵を制作していきました。ちなみに江戸幕府の御用絵師のうち、最も格式の高い職位は「奥絵師(おくえし)」と呼ばれ、世襲されました。
なぜ世襲されるのか
手法を引き継いでいくのに、なぜ世襲されるのか。それはブランド形成のため。「狩野派」印が、将軍たちの屏風や障壁を彩るために必要でした。この時代の将軍や武士たちの住居の造りは、書院造(しょいんづくり)。書院造は、「どっちが目上か」を明確にする造りです。わしは立派なのじゃ!を伝えるためにも、ブランド力の高い絵師たちの組織が必要でした。書院造については、こちらの記事に詳しく書いています。
狩野派の特徴
狩野派の特徴は、力強さ。権力を見せつけるための意匠です。力強さを表現したいわけです。そのために、力強い岩、力強い枝、虎、鷹、鷲などの力強い動物が、狩野派では描かれています。
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真・行・草の3様式
狩野派の2代目の元信(もとのぶ)は、幅広い層のニーズにこたえるため、真・行・草という3様式を設定します。顧客にこれらの3つのからスタイルを選んでもらい、弟子たちには、それぞれの手法を学ばせました。
真
真体:きっちりと描く。墨の色の使い分けが細かい。
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画像引用:つれづれ美術手帖
行
行体:真より少し崩して描く。
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画像引用:つれづれ美術手帖
草
草体:崩して描く・余白が多い
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画像引用:つれづれ美術手帖
粉本
真行草のスタイルを作ったので、それぞれの技法を弟子たちに習得させる必要があります。そのために用いられたのが手本となる粉本(ふんぽん)です。マニュアルのようなもの。粉本とは、絵師が制作の参考にするための古画の模写や写生帖の総称。そのために個性がないなどと揶揄されることもありますが、西洋のイタリア・ルネサンスにもまた、手法を真似る、マニエリスムという様式がありました。
狩野派の3人
400年ものあいだの狩野派たちを全員紹介できないので、代表的な3名をピックアップして、その作品をみてみましょう。
狩野正信
狩野正信(かのう まさのぶ)(1434年?–1530年)は、室町時代の絵師で、狩野派の祖。
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狩野元信
狩野 元信(かのう もとのぶ)(1476年–1559年)は、室町時代の絵師。狩野正信の子、つまり二代目。父・正信の画風を継承するとともに、漢画の画法を整理し、土佐派にみる大和絵の技法を取り入れ、真行草の3種類の狩野派の画風の完成させました。
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狩野永徳
狩野 永徳(かのう えいとく)(1543-1590年)は、安土桃山時代の絵師。日本美術史上もっとも著名な画人の1人。現存する代表作に『唐獅子図屏風』、『洛中洛外図屏風』、『聚光院障壁画』などがあります。
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狩野派と土佐派と琳派の見分け方
日本画の流派には、御用絵師をつとめてきた、狩野派と土佐派のほかにも琳派(りんぱ)というものもあります。それぞれの違いを、山田五郎氏が、このように説明しています。
土佐派
朝廷だからたおやかで女性的。すやり霞(すやりがすみ)や、烏帽子(えぼし)をかぶった人が登場したら土佐派。すやり霞とは、画面の随所に霞(かすみ)を描き込み、余白的効果をもたらし、画面が煩雑になるのを避けたり、 日本的な遠近法として、画面の上方が標高が高いという約束ごとを表現する時に用いられる技法。絵巻物などでは、同一画面内で複数の場面を共存させ、場面から場面への展開を見せるために使われます。また物語の終端を暗示的に終わらせる手法としても用いられます。槍霞(やりがすみ)ともいう。
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狩野派
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力強いタッチの岩、枝、強い動物(虎、鷹、鷲など)が登場したら狩野派。狩野派は、出資元が武士だったので自然と画風が力強い。
琳派
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余白があれば琳派。琳派は、勝手に真似されて(これを私淑(ししゅく)と言い、「面識のない人を著作などを通じて師と仰ぎ、模範として学ぶ」という意味で、「私」は「ひそかに」、「淑」は「よいものに親しむ」の意)、何百年も受け継がれてきた流派です。ちなみに琳派についてはこちらの記事で書いています。
まとめ
狩野派の凄さは、大量の発注をさばき、流派を存続させるために徹底したシステムを確立したところです。経営の手法としても見習いたいほど。それでいて、見て楽しい、美しい。威厳を示すための高価な装飾、という意味でも、現代のハイブランドと近いものがあります。
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参照
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