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きょうだい児でもなく身近にも障害者がいない私が障害者について勉強した理由

タイトルは自閉症?ASD?いや自閉スペクラム症にしようか?と悩んだが、文字数とわかりやすさ的に自閉にしてしまった。

私は学生のとき、障害科学(障害者や、障害と社会、障害と歴史など)について学び、自閉スペクラム症を専門として研究していた。

そんな私は元々障害者に興味があったわけではない。

…むしろ苦手だった。怖かった。
急に大声を出す人、飛び跳ねる人、
どっちに行くか分からない白杖を持った視覚障害の人。
ふらふらと脚を動かしながら歩く肢体不自由の人。
車椅子に乗って、だらんとした手足、首も座らずよだれを垂らしている人。

次の瞬間に自分が何されるか分からない。襲われるかもしれない。
見た感じ気持ち悪い。

そんな風に思っていた高校生。
しかしユニバーサルデザインに関心をもち、さらに倍率が低く入りやすいのではという卑しい下心から障害科学へと入学した。

障害について学び始めると、
障害者の歴史、障害者の行動、支援、社会福祉…すべてが新鮮で、どの授業も楽しかった。

特に関心を持ったのは、障害者の行動だ。ハトのキーつつき、パブロフの犬…あれ?なんかこれ聞いたことある。ここからはじまった行動分析学。
そして、あのとき自閉スペクラム症臨床実習の(卒業単位に含まれない超ヘビー級な)授業を受けたこと、これが自分を成長させた。


そしてここからが本題だと思われる。
私の自閉スペクトラム症への関心を沼らせたのは、その授業に関わる教授からのフィードバックだった。

臨床実習では毎週自閉の子を大学に招いて、1.5時間の指導をする。それもその子や親のニーズを聞いて、身に付けたい生活動作や学習などの支援・指導を考え、実行する。(イメージが難しい方は家庭教師のような感じだと理解してほしい。)

もちろん、計画通りに行ったことなんてほぼない。机に座ろうね〜と声をかけても子どもはおもちゃが気になってやめられない。

「勉強している子どもが楽しそうじゃない。というか、指導者のあなたも緊張しすぎ。」

「あなたは褒めるレパートリーは、すごい!しか持ってないの?笑」

「なんで子どもが着席しないと思う?」
→勉強がつまらないから
→「そうだよね。だって座ったって鉛筆握らされて書こうとも思ってない文字なぞらせて、なぞっても"すごい!"しか言われないんだもん。それに、すごい!のタイミング遅くない?なんでもっと瞬発的に褒めないの?」

「子どもが離席する時は、行ってらっしゃいって声かける。お母さんから見たら、いってらっしゃいって言われてなかったら、子どもが勝手に離席したと思われるよ。」

「ユーモアを爆発させる。こっちがバカになる。子どもを笑わせたら勝ち。」


今まで、指導するときに自分が子どもを楽しませようとする気持ちなんてなかった。というか、余裕がなくて持てなかった。これを学習しよう、練習しよう、が先行して子どもを見ていなかった。

しかし、実践からフィードバックをもらい、さらに考えて改善していくなかで、指導者の自分も子どもの行動や考えて素直に驚き、喜び、楽しむことができるようになってきた。すると、子どももそれに応じて楽しんでくれたり、さらに高いパフォーマンスを見せてくれたりした。


きょうだい児でもなく身近にも障害者がいない私が障害者について勉強した理由。
それは、教授から自閉スペクトラム症児と関わる楽しさと学問としての面白さを教えてもらったからだ。


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