【育児ログ】1歳児、初めての救急搬送と入院生活
こんばんは。ぐっと寒さがコートをすり抜けて体を冷やす季節になりましたね。
昨年購入したワークマンのダウンコートがしっかり防寒できて、ポケットが大きくてが数が多いのでバッグを持たずとも全部詰め込んでうろうろできるので、重宝しています。
育児ログを時系列に残していきたかったのですが、先日、子が熱性けいれんで救急搬送&6日間の入院生活を送ることになったので、その時のことを記しておきます。
真冬の朝、突然起きたけいれん
私と夫と子1人の3人暮らし。
共働きで、育児はおおまかに折半して行なっている。
けいれんが起きる前の日、保育園でアデノウイルスが流行っており、子本人の右目に目やにがよく出ていたので、夫がかかりつけの小児科へ連れて行った。
熱はなく、おそらくアデノウイルスだろうということで、目薬や症状がひどくなった時に使う飲み薬が処方された。
保育園を休ませて、自宅で過ごす。午後からは私が一緒に過ごした。
本人はいたって元気で、いつもの食欲と活発さで、よく食べ、おもちゃを部屋のあちこちにばら撒いていた。
途中、実家に行って私の両親に遊んでもらって、普段と変わりなく就寝した。
けいれんが起きた日の早朝。
まだ日は登っておらず、薄暗い中、同室で寝ている子から「うぇっ、うぇっ」と一定のリズムで体を揺らしながら、喉がひくつく音が聞こえた。
様子がおかしい。これは異常だ。抱きあげて、すぐにリビングの電気をつける。
目は一点を見たまま瞬きなく、体の痙攣がずっと続いている。
ほぼ同時に起きた夫に救急車を呼ぶよう指示。
最初、何かが詰まっているかと思って背中を叩いてしまった。何も出てこない。
夫が電話の先で、そっと置いて、首や脇を冷やすように指示を受ける。
電話を切った後は動画を撮影。夫はすぐに病院に向かえるよう着替えを済ます。
10分足らずで救急車が到着し、救急隊員が自宅に入ってきた。
到着するまでの時間が、すごくすごく長く感じた。
子は、けいれんの様子が少し変わった。くぐもった声を一度出し、鼻が詰まっているのか息がしづらそうに唸っていた。
前日の状態、気付いてから現在までの状況を聞かれて説明する。
今、子はどういう状態なのか。早く病院へ連れていって、診てもらうべきじゃないのか。聞きたいことはあったが、こちらから質問しては、搬送が遅くなると思って、聞かれたことだけ答えた。
夫が母子手帳や保険証を持って、救急車に同乗する。
外は薄暗くて、部屋にぽつんと私だけがいた。
いつも通りの朝を迎えられると思っていたのに、現実に思考が追いつかない。
数分だけ逡巡した後、身支度をする。
朝食とお茶をバッグに詰めて、自家用車に乗り込んだ。
冷え切った車を発車させ、夫から連絡があった病院へ向かった。
待合室から病室へ
名前は聞いたことあるけれども、車で通り過ぎるだけだった総合病院に入ると、夫は処置室の外で待機していた。
2人で並んでソファに腰掛ける。
沈黙が続いて10分ほど経って、看護師さんに呼ばれて入室する。
部屋の明るさに目が眩んで、でも視線はすぐにベッドに横たわる子に向かった。頭に複数の線が繋げられ、手の甲には点滴の針が刺さって、その下にぐるぐるとかまぼこ板ほどの布の塊がくっついており、寝息を立てていつものように寝ているように見えた。
看護師さんが担当医と一緒にやってきて、
・熱性けいれんであること
・自宅でけいれんがおさまったように見えたが、救急車でも小さいけいれんがあり、15分から30分ほど続いていたことになる。
・けいれんを止めるための薬を使った。今は薬の影響で眠っている。次起きるまでの時間がどれくらい短いかが大事。
と説明を受ける。
そのままCTを撮る部屋など、数種類の検査を受けるための部屋へ移動し、最終的に病院の上階にある、病棟へ向かった。
面会や付き添いがなければ、立ち入らない場所だ。
家の匂いなんて全くしない、患者の寝るベッドの横に、収納や出し入れ可能なテーブル付きのTV台。その横にはソファベッド。
とてもよそよそしい。
看護師さんがやってきて、入院の説明を受ける。
・付き添いは1名のみ。
・子が食事をする際の箸や、お茶は提供されないので、保護者側で準備が必要。
・保護者の食事は出ないため、下の売店等で準備が必要。
・保護者はソファベッドで就寝することができるが、寝具類のレンタルは別途費用がかかる。
・今回はアデノウイルスの陽性反応があるため、感染対策により絵本等のレンタルはできない。同様に、院内の洗濯機は使用不可のため自宅で洗濯を。
入院のしおりや部屋の利用の仕方がまとめられたパンフレットを受け取った。
次からは、テーマごとに内容をまとめてみる。
子の病状から退院までの様子について
医師からは、次目が覚めるまでの時間が大事だと言われていた。
結果、けいれんが起きたのが朝4時半、病院の個室に移動したのが6時半、目覚めたのは8時半で、想定より早い目覚めだったと後々説明を受けた。
薬の影響で入院1日目はぼーっとしていて、食欲はあるが、寝ていた。
2日目〜4日目は熱が38〜39℃台を行ったり来たりしていて、解熱剤を入れることもあった。
5日目に熱が下がり、子本人も、ベッドから出られない生活に飽き飽きして癇癪がひどくなっていた。
6日目の午前も変わらず平熱が続いていたので、午前に退院することになった。
退院前に
「今後、高熱が出た時に、またけいれんが起きる可能性があり、そこで後遺症が残る可能性がある。」
と言われた。
あぁ、退院して全て解決というわけではない。大きくなるまで、ずっと付き合っていく問題なのだと理解した。
付き添いの大変さ
子の入院の付き添いが大変、というのはX(旧;Twitter)で知っていた。
でも、知っていたのは病院のソファベッドで寝て、体がガタガタに強張るということ、保護者側のご飯は、自分で準備しないといけないこと。
ただ、知っているのと実際に経験するのとでは大きな違いがあった。
まず、寝具をレンタルして、ソファベッドで寝ようとしても、なかなか眠れない。
いつもと勝手の違う布団では落ち着かないのはもちろん、布団に入っても、またけいれんが起きたらどうしようと心臓がドクドクする。
部屋では心電図のモニターが一定のリズムでプッ、プッと音を発しているし、子が寝返りを打って、貼り付けた位置からシールがズレると大きな音で知らせるので、眠いなと思いながらもソファベッドから起き上がり、位置を元通りにするため、子のベッドの柵をおろし(これがなかなか力がいるし、左右のバランスを保ちながら下げないといけないので、力任せにできない)、シールの貼り付け場所を整える。
あわせて、寝相の悪さでコードが絡まり、動けなくなって「うわああぁぁ」と泣き出したり、熱の影響か数時間おきにムクっと起き上がっては親がどこにいるか確認したりするので、その度にまたソファベッドから起き上がり、添い寝をする。
添い寝が終わったらベッドから離れるよう、入院の際に説明を受けたので、子の様子が落ち着いたら、また自分のソファベッドに戻る。ベッドには自分の体温があまりなくて、また温め直しになる。
さらに、廊下の明かりは部屋に入ってくるので、部屋が見渡せるほどには室内は明るく、巡回の看護師さんが定期的に確認のため部屋にやってくるので、目が覚める。
2時間に1回はベッドから起き上がることになるので、疲労は蓄積する一方だった。
子が新生児の時の生活スケジュールに近いものがある。
暗闇の中で食べるコンビニご飯
付き添う側のご飯は、先ほど書いた通り、病院では準備がない。
そのため、売店で準備するか、付き添い交代の家族に買ってきてもらうか、
付き添い交代後に食べるか、になる。
売店ではコンビニ弁当やカップ麺、サンドウィッチ、オフィスビル付近で売られているような一食500円ほどの弁当が売られている。
それを、子が起きる前や寝ている間にそーっと買いに行く。
そして、目が覚めないうちに口の中にかき込む。
電気をつけたら子が起きる可能性があり、起きると食べられなくなるので、電気はつけない。廊下から入ってくる明かりを当てにしながら、味付けの濃い弁当を食べる。
自炊でほとんど生活していたので、1食ごとに財布からお金を出さないといけないことになんだか抵抗があった。
栄養バランスのある弁当を買っても、不足している栄養素があるのか口内炎や肌荒れが起きる。
長くても2日で夫と交代しており、帰宅後は家で自炊しようと割り切っていたが、
これがワンオペだったら、嵩む出費と睡眠不足で自分自身の体調を崩していただろう。
ストレスを溜める子とどうやって過ごすか問題
入院1〜3日目は、子は寝ていることが多かった。その間に荷物の整理をしたり、足りない睡眠時間を確保したりで体調を整えながら乗り切っていた。
4日目から、元気を有り余らせるようになった子とどう過ごすかに頭を悩ませた。
元気になってくれたのは嬉しいが、親側の気力体力が不足していた。
ベッドから出たがるが、心電図モニターや点滴がついている状態では出られないため、癇癪をよく起こして、宥めるのにとても苦労した。
普段は視聴時間を決めている動画も、この入院期間は制限を取っ払って活用した。
数ヶ月前に買ってたiPadがまさかこんな時に役立つとは。
ナースステーションにて、絵本やおもちゃの貸し出しを受けることができるシステムがあったが、今回は、子がアデノウイルス陽性だったため、自宅からおもちゃや絵本を持参した。持ち込み個数が3つまでで、すぐに飽きてしまう。
ベッド上でしか動かないことで、寝つきも良くなかった。
5日目からは、点滴も心電図も取れたので、部屋を歩き回らせることで、時間を消費した。最終日にいたっては、部屋の中にいるのも嫌なようで、部屋に入ってくる医師や看護師にもプイッと顔を背ける態度の悪さ。ちなみに、食事を運んでくる人には「おぉっ」「きたー」といつでも愛想良く対応していた。現金なやつ。
入院にかかった費用
病院での滞在日数が長引くたび、「いったい入院費はいくらかかるんだ」と不安がよぎった。
住んでいる自治体では、子どもの入院費は中学校3年生まで無料だったが、何か別途費用がかかるのでは、と気になっていた。
退院当日、渡された明細には約50万円の医療費が記載されており、目を見開いたが、実際の請求額を見て、安心した。
請求額は子の食事代のみで、それ以外は全て無償化されていた。
その他かかった費用と併せると、下記の通り。
働き始めてから、社会保険を納めてきて、使う分より払う方が多いなんて、不満に思うこともあったけど、今回の約50万円が、国や自治体の制度で、50分の1以下になったことで、感謝してもしきれない。自分の納めた保険料も、誰かを助けているに違いない。
退院後10日経って、考えること
退院後の子の様子は、入院前の様子と変わらない、日常に戻ったように思える。
我々親側は、今でも、夜眠るときに不安になって寝息を確かめる。
新生児〜生後6ヶ月のSIDSを恐れていた時と同じような気持ちだ。
退院前に次発熱が起きた時に注入する坐薬と、けいれんが起きた時に使う注射を処方された。
注射を使う時が来てほしくない。
なお、注射を使った時には、すぐに救急車を呼ぶよう指示された。
そのときは、けいれんの時間、どんなけいれんの様子か事細かに説明できるようにしておくこと。
間違いないのは、動画を撮っておくと搬送されたときにすぐ状況を理解できる、とのことだった。
仕事は、結局3日休んだ。夫は2日休んだ。
さいわい、仕事が繁忙期ではなかったのと、有給休暇がまだ残っていたので、ダメージは少ない。
ただ、こういった状況が頻発したらどうなるか。
有給休暇はどんどん減っていくし、足りなくなったら給料や査定にも響くだろう。
職場には謝りっぱなしで、付き添いで体が疲弊したまま、仕事に向かわざるを得ない。
先日、部署の先輩との雑談の中で、「上の子が入院した時に、下の子の送迎や預け先がなくて困った。実家は頼れないし、配偶者は残業続きで、ボロボロだった。あの時の苦労はもう二度と味わいたくない」と話が出た。
兄弟児がいるパターンだと、さらに入院の付き添いの難易度が上がる。
保育園・学校のお迎えや、食事や洗濯をどう手配するか。配偶者が単身赴任や不在の場合、自分が付き添いをすると家が機能しなくなる。ベビーシッターやファミリーサポートを使うことで解決できるかもしれないが、どのくらい費用がかかるか、それを捻出できるか考えたくもないが、考えるべき問題だ。
それに、自宅の場所について、今回入院した病院のような、医療体制の整った医療機関にすぐ向かえるようなところに住んだ方がいいのではないかと思い始めている。
あと、医療保険の加入についても、再検討が必要だ。
今回、入院でお世話になった医師や看護師には感謝ばかりだ。
なかなか眠れないことや、食事の不満はあったが、けいれんの再発がないか巡回してくれたり、おむつ換えでうんちがシーツに付いてしまって、シーツ交換をお願いした時も「よくあることですから気にしないでいいですよ」とすぐ対応してくれた。
仕事だから当然という人もいるかもしれないが、子が快方へ向かうか心配で、寝不足で疲れ切っていた自分にとってはありがたかった。
突然起きた救急搬送と入院で、まだまだ気の抜けない日々が続いている。
次けいれんが起きた時に、また日常に戻れる確証はない。
付き添いの大変さや、仕事を休まざるを得ない状況になり、この入院は、再度自分の働き方を見直すきっかけになった。
入院だけではなく、不登校になった時のために「会社に行って賃金を得る」以外の、収入を得る手段を、何かしら考えないといけない。
答えはそう簡単に見つからないだろうけれど、少しずつ模索していく。