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noteが変えていく。私が変わっていく【主婦、note半年目の決意】

「ついにひとりになれた………!ヒュウーーーーー!!!なにしよなにしよ!


三男の慣らし保育がスタートし。
「三男……ぐすん。がんばろうね……!」でなく。

4度目の慣らし保育は私にとっては「限りある残された私だけの時間」。

三男とふたりきりの日々との別れにセンチメンタルジャーニーしている暇もなく、1年ぶりのひとり時間にテンション爆上げしている中。

「そうだ。note書こう」

と思い至った。それが4月3日。
すでに月末に仕事の復帰を控えていた。

今思えば。
三男の育休の終わりが見え始め、社会の中に戻らなくてはいけない。そんなときに限って、なぜ私はnoteをはじめたのだろう。
今思っても不思議なのだが。

「引き寄せられた」

そんなスピリチュアルな言葉に、ときには頼ってみてもいいのかもしれない。
とにかく、急な決意だった。

5児の母、noteはじめました


「うふふ。noteでエッセイなんて…書いちゃう!?」

と、私はかねてより気になっていた「note」なるものに手を出した。
「cafeでおしゃれにnote書いちゃったりなんかして……⭐」
と、最初こそ理想の自分を描くこともした。

現実は
保育園からあっという間に帰って来る三男を背中に背負い、ついでに滞在時間2時間でさっさと帰宅する双子の喧嘩にイライラし、次女がスプラトゥーンで負けて癇癪を起すのをいさめ、不登校になり始めていた長女の様子に気を張ったりしながらの、「キッチン立ちPC5児の母noter」の爆誕であった。(バアーーン)

私の文章のテイストはたいして変わっていない気もするが。
当時、アイコンくらいの髪の毛だったのが、すっかりパーマウルフヘアになってだいぶ伸びてきた。
「ママ、ライオンみたいね」
「ボサボサね~(やさしく撫でながら)」
「ママ、かわいいよ(ニコッ)」
と、子どもたちに気を遣われまくっています。

#どうでもいいか

noteから広がる世界

noteは面白いツールだ。

その気になれば、わりと簡単に自分の世界が広がりやすい。
多くの読者を抱えるnoterさんの中には、「マガジン」なるものを運営している人がたくさんいた。
そこにドキドキしながらコメントを送り、参加する。

誰もが「ぜひ!」「いっしょに盛り上げていきましょう!」と声をかけてくれる。

自分の記事がそうして、知り合いのまた知り合いに目に触れることとなり、知らぬ間に多くの方に作品たちが届くことになる。
それがうれしくて楽しくて、1ヶ月目からたくさんのマガジンにお世話になったshiiimo。

しかし、あえてその手段をとらないこともできる。

「自分の通知をつけてくれている人」
「自分をフォローしてくれている人」
「たまたま目に入った作品と一期一会の出会い」
そんな風に、「自分」というピンポイントの作品に「スキ」をしてくれる人との、そっとした手紙のやりとりのような身近な世界にいることもできる。

私はむしろ、その生き方を選んでいる人にあこがれる。
でも、たくさんの人に出会えることも素直にうれしくて楽しくて、相変わらずたくさんのマガジンにお世話になりまくっている。

さらにはメンバーシップにも参加して、よりいろんなものを仕入れたいし交流したいし、と企んだりして。

まあ、基本自分、人が好きなんで(ヘヘ…)
よろしくお願いします、これからも…(深々~)


ただの主婦が「数字」を見て思うこと


今回、節目を迎えた10月に、月間PV20000、スキ10000をいただき。
数字を見つめて改めて思う。



noteは素人でも、アクセス状況をすぐにこうして分析することができる。
だから、目で数字を得ることで素直な喜びを感じることもできるし
それを気にしないでつれづれなるままに書くことも許されている世界だ。


SNSで時間をこれでもかと溶かしてきた人間(JAPAN:主婦代表)を自負している。
ツライ、見たくもない記事や言葉のやりとりが目にとまってしまい、文字通り「時間を無駄にした」ことは数知れない。
だから、他のSNSは正直今も苦手だ。

けれど、noteは違った。

その数字があろうとなかろうと。
かわしてきたコメントたちが基本的におだやかな空気であることに、まずとても安心感を覚えた。
顔も見えないけれど、基本的に初手から攻撃をかます人があまりいない。
(shiiimo所感)

「文字」を好む人たちが集まるこの場所で。
可視化された「数字」がしっかりとこうして存在すること。
ともすればこの数字の取り合い・せめぎあい・罵りあい・わめきあい………ai-ai飽和状態になりかねない状況。
しかし、このバランスがうまく相まっている。

だからこそnoter同志は
「切磋琢磨するにとてもちょうどいい環境」
をnoteで得ているのだと感じる。


もらったもの、与えたいもの

noteで出会えたたくさんの仲間たち。
ここでしか得られなかった経験と知識。
noteの「路地裏」の存在。
「裏」とはある意味「表」なのかもしれないという、不思議な、でも確かな感覚。
noteの「新しい世界」に入っていくことへの緊張と欲望。
感情の抑揚の高低差に自分で驚く。

「自分もなにかを生み出したい」

noteを始めた当初は、子どもの母として、悩みを打ち明けたくて。
「不登校の親」として。
「発達障害児の親」として。
「子どもを抱える親のひとり」として
共感してほしくて。誰かに励ましてほしくて。


でも、きっとそれだけではなかった。
私は物語を紡ぐことから一度逃げた人間だ。
過去、私は目の前の仕事に必死になるばかりで、物語を紡ぐことを諦めた。
けれど。
書くうちに、素敵な文章に出会うたびに。創作にやっぱり、向き合いたくなった。

そうして、創作大賞に急に参加するべく創作に手を出した。
苦しくもあり、それでも楽しかった。
愛しい時間だった。
そうだ私は。書くことが好きだった。

路地裏にはさらにたくさんの知られざる世界、知られざる才能を持ち合わせた作品が並んでいて。
こっそりとその世界をのぞいていた人間が、いつのまにか#なんのはなしですかと叫んでいた。

コンテストや企画、いろんなものに参加するたびに、得るものがあった。
そうして「悔しさ」も思い出せたことは、きっと私の財産になる。
そんな気がしている。


たくさんの希望の言葉と、私の「好き」を思い出させてもらったこの場所で。これから自分にできることを考えたときに。


まずは、いっしょに悩んできた、そしてまだ出会っていないけれど、どこかで困っている「発達障害」「不登校」の親たちや「孤独に子育てをしている主婦」たちと。
「安心できる場所」「価値のある情報」を届けたいと思っている。

自分が投資してきた知識をしっかりと届けたいという気持ちと決意をこめて、これらを有料記事としてまとめて、マガジンを発行する。
shiiimoのnoteの次のステップ。チャレンジだ。

「5児の子育て」
「ストレスのない育児」
「児童発達支援士で得た知見の共有」
「不登校でも自分が好きな子に」
「主婦とnoteの付き合い方」
これまでの記事も含め、充実させられたらいいな。


連載もしたい。
公募への応募もしたい。
勉強も続けたいし
家族でまたたくさんお出かけしたい。
(ゲームもしたい)
(ウメエ酒も飲みたい)
(お金は5億降ってきてほしい)


やりたいことはたくさんある。

大人になっても
親になっても
やりたいことはこんなにも溢れてくるんだな。
それが知れてよかったな。

noteよ
ありがとう。
みなさんいつも、ありがとう!

これからもshiiimoをよろしくお願いいたします(ペコリ)





#なんのはなしですか
#決意表明ですか
#どうでもいいか
#これでいいのだ

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shiiimo|5児の母
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