-読書感想- 「万引き家族」を読んで。
今まで決まった作者やジャンルの本しか読んでこなかった私。
自分の世界や知識を広げたくて、
今年はとにかくいろんな本を読もうと決めた。
Instagramのストーリーに#読書記録として、
読んだ本の写真とともに一言の感想をあげるようになった。
読書の軌跡を自分自身が振り返るために始めたことだけれど、
「しーちゃんの読書記録密かに楽しみにしてる!」
という声を頂くことがあってすごく嬉しい。
たくさんの本を読めるようになってきて、
「書く」ことへの憧れが出てきた最近。
本の感想や日常の感じたことをnoteに綴ってみようと思う。
さて、本題へ。
ずーっと映画が気になっていた「万引き家族」
だけどその深さや重みをリアルな映像や音を通して
受け止めきれるかが不安だった。
深くて重みのある映画を前にして私がいつも思うことである。
そんな思いで気になりつつも、スルーしていた。
が、本屋で小説を発見。
文章でなら受け止められるような気がして手に取った。
読み終えて。
とてつものなく深くて熱い愛が溢れすぎていて、
胸がいっぱいになった。
この家族が形作った「キズナ」は、
倫理や社会規範を通して間違っているとか、正しいとか、
そういう次元で語ることのできないものだった。
人と人との繋がりにはいろんな形があって、
その形を評価する権利なんて誰にもない。
そんなことを強く感じさせられた。
私がいちばん愛を感じたのは、
りんの服を燃やす火の前で信代がりんを抱きしめるシーン。
『「好きだから叩くんだよ、なんていうのはね、嘘なの。」
(中略)
「好きならね、こうするの」
信代はりんを強く抱きしめた。頬と頬がくっつくくらい、強く抱いた。』
自分が過去に受けた痛みに訴えかけるような信代の言葉。
血の繋がらないりんに対して「母親」としての意志が芽生えたこの瞬間。
「愛すること」って不確かで目に見えないものだけれど、
こんなにも強くてはっきりとずっしりと感じられるものなのだと感じた。
自分はこれだけの深くて熱い「愛」を持って生きられているだろうか?
目の前にその「愛」を与えていられるだろうか?
今の私はきっと人から「愛」を与えてもらうことの方が断然に多いと思う。
「愛すること」の意志を持って、
目の前の人に確かな「愛」を与えられる人でいたい。
「愛」って自然に生まれるものではなくて、やっぱり意志なのかも。
これはまさしくエーリッヒ・フロム著 の『愛すること』に
書いてあったことでもある。
こんなふうに読んだ本と本が繋がるとは!
わかった気になりがちな「愛」について深く考えさせられる
そんな物語が「万引き家族」だった。
みなさんは「万引き家族」を観て、そして読んで、
どんなことを感じたり考えましたか?