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【リブリオエッセイ】アート思考で文芸を!
▼2024年11月 ふみサロ課題本
『「アート思考」の技術』
長谷川 一英(同文舘出版)
▼本文
アート思考で文芸を!
幼少期の頃、クレヨン画が得意だった。小2の時、校内写生大会で書いた絵は郡で特選に選ばれ、夕方のNHKローカルで名前と共に画面に映された。当時の通信簿の図画工作は、5段階評価で5。翌年(小3時)も準特選に選ばれた。この頃、小学校の校舎で一番好きだった場所は音楽室。私はハーモニカが下手で通信簿の音楽は2だったが、教室の周りを囲むように貼られている作曲家のポスターが好きで、名前はすべて暗記していた。ピアノは弾けなかったが「モーツアルト」「ベートーヴェン」等の伝記を読んで、偉大な作曲家の人生に憧れを抱いていた。
小4から写生大会は水彩画で書くようになった。海が灰色に見えたので、海を灰色に塗り先生に見せた所「海は青で塗りなさい!」と注意された。それ以来、私はすっかり学校で絵を描くのは嫌いになってしまった。中2から独学で始めた作曲は、YMOに対する強い憧れと共に始めた事から上達が早く、中3からは作詞も始め、気付けば通信簿の音楽の成績は、やがて10段階評価で10になった。高校になれば作れる曲の質は上がっていたが、当時は自動演奏させられる機械などなかったので、思い付いても演奏できる能力がない事に悩み続けていた。結局、私は演奏能力の限界を感じ、作曲は10代までで辞めてしまった。
そんな私に最後まで残ったのは言葉を紡ぐ事、それだけだった。私が成りたかったのは詩人では無い。しかし、芸術家には成りたかった。だからかもしれないが、私は言葉のみを使って、現代アートや映画、音楽を作ろうとしている。私の基準は他の詩人が詩に求める基準とは、少しずれている(のかもしれない)。私は、難しい言葉を多用するような、難しい詩は書けない。その代わりに文学性はあまり高くなくても、誰が読んでも分かるような、共感できる詩をできるだけ書いていこうと、日々の努力や工夫を重ね続けている。
一昔前の文芸界はジャンルをまたがる二刀流を嫌う傾向にあったという。しかし、二刀流解禁の流れはプロ野球のみならず、今後、文芸界でも必ず加速すると私は睨んでいる。私の理想は、あくまでも私を起点として始まる、ボーダーレスなアート思考の文芸である。私はこれからも自分にしか書けないアート思考の文芸を追求し続けていきたいと思う。
▼今回の作品の執筆意図
私は今月の課題本を、終始、ニヤニヤしながら読んでいた。何故なら、私が普段、詩を創作している時に考えているのと同じような事が、そっくりそのまま今月の課題本に書かれていたからだ。そして、読み終わってから、私は、これまでずっと、アート思考で詩を書き続けてきたのだという事に気付かされた。
私には、これまで漠然とした悩みがあった。ジャンル分けの都合上、これまで私が書いてきた詩は、詩と呼ぶしか無かった訳だが、ただ、明らかに、私が書いている詩は、現代詩手帖に載っているような詩とは、違うジャンルの詩だと思っていたからだ。ある人は、以前から、私が書いているのは詩ではなく、ウタであると言っていた。自分でも、多分そうだろうなという感覚があった。
今回、今月のエッセイを書くにあたって、改めて自分の幼少期から、10代を振りかえってみた時に、その謎が解けた。なので、その過程について、自分自身の過去を確認するための作品として、今月のエッセイについては、内容をまとめる事にした。
▼「横須賀しおん」と「ふみサロ」と
「アート思考」で生まれた作品群を振り返る!
※2022年は、年3回、エッセイでないものを提出した。
エッセイ以外を提出している確率、25%だった。
①2022年11月 リブリオ短歌
②2022年4月 リブリオ詩
③2022年1月 リブリオ詩
④ふみサロ未提出のエッセイ
2020年3月『子どもクリエイター時代』