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ずっとそこに居てくれたんだ~目に見えない光に包まれた旅~
友人から教えてもらい、ずっと頭の端にあった海士町。島根県、隠岐諸島にポツンとあるEntoに、縁があってたどり着いた。
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満ちてゆく旅
人口約2,000人の島は、船で海を渡った先にある、遠い島だ。コンビニもなく、何があるわけでもない。「ないものはない」ならば、なにがあるのか?それは紛れもなく、自分たちであり、海や山の新鮮な食材、神が創造した美しいこの地そのものであろう。港の海の音、風の流れ、季節を感じる澄んだ空気、深い山の緑が包み、私たちを心から満たしてくれる。
Entoのダイニングで、島の旬の食材を最大限に活かしたアートを美味しくいただいた。素朴で、それでいて存在感があって、ひとつひとつが輝いて生き生きしている。島留学で海士町と出会い、東京で修行しUターンで戻ってきた、若いシェフのセンスが光り、これからが楽しみで応援したくなる。「Entoのお客様が納得するお店」が他にあるか?島の宝物のような食材を、生産者と近く、素材本来の良さを活かしたい、大切に紡ぎたい。そんな思いがあるからこその葛藤もあるのだろう。
この地で感じるのは、人は人、自分は自分。誰かが決めた基準や良しとされる枠組みにははまらない。一人ひとりが際立っていて、迎合したり、まわりに合わせにいったりしない。個々がお互いを尊重しているのではないだろうか。そのままでいいんだ。
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そこで何を感じたか
なにもないお部屋で、大きな窓の淵に型どられた島や海を眺め、ゆったりとした時間が流れるなか、自分という存在を突きつけられる。10月の神無月に、神在月の島根(神々が縁結びの会議で出雲に集結)に目に見えぬお導きにより連れてきてもらった。
満ち満ちていくと同時に、今この瞬間だけじゃない、長い歴史のなかで前世からの遠い記憶の端をつつかれるような感覚。自分がやってしまったことへの懺悔、犠牲になった人たち、高慢さ、どこか上から目線で謙虚さが足りなかったのではないかと反省。「ごめん、私がわるかった。許してほしい」と、それが何に対するものかわからないが、ひたすら素直に謝りたい気持ちが溢れた。
そして、「ずっとここで待ってくれていたんだ」と計り知れない大きな愛に包まれた。欲しいものを追い求めて駆けずりまわり、手に入らないと嘆いていた。けれど、実はずっとそこにあったのだ。「よく見なさい」と神々に言われているようだった。ちゃんと用意されている。なんて、愚かな自分。自分の頭のなかをひっくり返されたような衝撃に、ぼわっと涙がふき出した。オリンピックの金メダルの瞬間に立ち会った時のような、外側で共感を呼ぶ感動ではなく、紛れもない自分の内側で起こっていることに、全てのつじつまが合い、感動で震える。これまでにない感覚だが、痺れあがった。
なにもないところから創造された、深い気づきと学び。痺れる程の喜びを、ありがとう。ここには、すべてがあった。
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