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neutral004 両義性

 ニュートラルという造語(概念)は自動車のトランスミッションの中のギアチェンジの一要素であり、媒体の役目から発しているので、迷った時にはそこに立ち戻ることにしている。ニュートラルにギアが入っている時は、走行していないという原則から、自動車に取っても運転手・所有者にとっても最も安全であろう。家庭内も離婚直前や家庭内暴力で荒れていない限り安全な空間と言えるだろう。それ故にオレオレ詐欺の被害が後をたたない。旅行者への親切と同様に相手に寄り添ってしまうのだ。利他の誘惑に負けてしまうのである。ニュートラルは原理的にオレオレ詐欺に弱いのである。双刃の剣、ニュートラルにはそういったマイナスに向かってしまう要素も含まれている。変幻自在、ニュートラルには「多様性」があり、それは「多様体」であることから来ている。
 村上春樹の初期の作品の主人公は只管快適な生活を追求して生きていた。向上心、上昇志向も無く。ニュートラル(箱入り男)と言い換えてもいいだろう(ニート生活は側からは苦しそうに見えて、そうしている人たちは逆にこれ以上の快適さはないと思っているのかもしれない……)。村上春樹の場合は「快適さ」それしかない、という不気味さもまた文体の迫力のなさと相まってか、持っていた。物語はそのニュートラルから一歩出て、冒険・危険に足を踏み入れるところから始まり不思議な旅へと導いてゆくのがパターンだった。快適と退屈は紙一重なのだろうか。
 旧訳の「ティファニーで朝食を」は読み始めて直ぐに止まり挫折し放置していたのだが、今年になって村上春樹訳のティファニーを読みやすさを期待し読んでみた。パーティに明け暮れる社交界をメインに据えたストーリーで、リッチで働かなくても遊んでいられる遊民が何人かスポットライトを当てられて描写されるのだが、ティーンエイジャーのヒロイン、ホリー(映画ではオードリー・ヘップバーン)は妄想を含ませつつ真実を語ってしまう人物に設定されていた。曰くパーティに来る誰々は意外に子供っぽいとか……。子供には万国共通なところもあり、モラトリアム(ニュートラル)はほぼ世界共通な子供から大人への架け橋になっているのだろう。二刀流とは、謂わばモラトリアムを続けるということでもある。野球小僧の発想だ。投手と打者に専念しない、ということからも明らかなのだが、ニュートラルという視点にはそういう見方も付随してくる……。
 日本企業のかつての新入社員採用基準には色に染まっていない人物。個性的でない、クセのない未熟な学生が人事部では好まれていた。同様にお嫁さん選びでも染まっていない無垢な女性が理想だった。自己主張をしないそれらのニュートラルな人物を会社や姑が鍛えてあげ、立派な企業戦士や良き嫁さんに仕立て上げようという魂胆があったのだと云える。村上春樹の向上心や上昇志向のない主人公とは違って、内には野心や出世欲さえ秘めて持っていなければならないのだった(羊の皮を被った狼)。誰も口にしなくなった「良妻賢母」もまた懐かしい物言いであろう。
 モラトリアム(ニュートラル)の文学(文化)に於ける両犠牲は平安時代の王朝和歌でピークを迎えていた。掛詞、序詞、枕詞。ご存知の様に「長雨」に「眺め」を掛けるのである。
 「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに」(小野小町 百人一首九番)
 文学にとどまらず、両犠牲は神仏習合、本地垂迹(9世紀ごろからだから王朝和歌と同年代、例えば天照大神は大日如来の化身とする)、あるいは武家の朝廷からの官位にまで浸透していた(「南町奉行大岡越前守忠相」、幕府と朝廷から二つの地位が与えられていた)。貴族から派生した武家(源氏、平家など)の名残りだろうからやはり平安時代は日本形成の基礎の時代であったろう。
 両犠牲というどっちつかずの宙吊りニュートラルの形態は我慢を強いることさえ想定される。アイデンティティ・自己同一性の浸透している欧米人では尚更のこと。大谷翔平は二刀流は精神の方がキツイと言っていた。
 何故にその様な両犠牲(隔たり、またはその距離を超えること)を日本人は好んで選んできたのか、今の時代の述語で理由を上手く説明することは二刀流の解明と同様に至難の業かもしれない。その様な嗜好性が仏道の影響もあり、貴族の間で当時盛んだった日記などに驚く程頻繁に出てくる。「維摩講」(「不ニの法門」)が最たるものだろう。両犠牲を含め全ての二、複数の対立は不ニ(ふに)、二つではなく一つであるという。王朝時代には大いにあったその嗜好とはつまり、両犠牲を楽しめること。矛盾を美と感じられること=侘び寂び。哀れを叙情的にではなく強度(鳥肌が立つ様な一次的感動=身体的な波動)と捉える感性。ニュートラルに浸って、ニュートラルに遊び、ニュートラルを解し、優雅・風雅というものを身に付ける。両犠牲に浸り、身に纏うことが貴族への第一歩だったに違いない。(続く)
 2024/03/23


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