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娘が不登校に・・・。

もう10年ほど前のことですが、当時 中学2年生の娘が突然、学校に行かれなくなりました。
私は当時、うつ病で休職中だったのですが、いつもなら自分の部屋から元気よく降りてくる娘が一向に降りてこず、少し心配になっていました。

待ちきれなくなった妻が娘の部屋へ行き、「○○、起きなさい!」と娘を起こそうとしましたが、布団を被ったままでした。
(寝ていたいのではなく、起き上がれなかったらしいです。)
イラついた妻が布団を無理やり剥がし、娘にビンタしましたが、これが逆効果。
また布団に潜り込みました。
これが不登校の始まりです。

それまでは、とても活発で成績も良く、元気で明るく育ってくれていた娘でしたので、妻も私も、かなりのショックでした。

しばらく経ってから娘に聞いたのですが、(いつもは厳しい)私からは何も言われなかった(そのままにしておいてくれた)のが嬉しかったそうです。
(本当は、うつ病で休職していることが申し訳なくて何もできなかった。)

それからは毎朝、欠席する旨を中学校に連絡する日が続きました。
しばらくは、洗顔、食事、トイレ、風呂以外は自分の部屋で過ごす生活でした。でも、家族とも短い会話はあったので、少しだけ安心しました。

ほぼ毎日、担任の先生や教務主任が我が家に来てくれました。とても申し訳ない気持ちと、嬉しい気持ちが半々でした。
数ヵ月で、娘が玄関口まで出てきて言葉を交わすようになり、先生も少し安心した表情をされていました。

この状況を何とか改善してやりたくて、娘と共に総合病院の小児科を受診しました。
起立性調節障害と診断されて、約3ヶ月間 病通院し、服薬も続けましたが、あまり改善が見られませんでした。

それから半年ほど経った頃、娘が「学校に行く」と言い始めました。
ただ、朝早くには起きられない状況が続いていたので、10時頃に私が中学校まで乗せていっていました。
でも、自分のクラスへは(気分的に)入れず、保健室登校でした。
(娘いわく、学校に行かれなくなった当初から「学校に行かなきゃ」という思いはあったそうです。)

修学旅行は行けました。保育園から一緒だった友達が強く誘ってくれたのが、とても嬉しかったそうです。
卒業式も行けました。担任の先生が号泣しながら娘を抱き締めるのを見て、涙が溢れました。

不登校がゆえに成績が付けられず、通信制の高校への進学を担任の先生から提案されました。
で、迎えた入学式。かなり個性的な生徒ばかりだったことに衝撃を受け、また行かれなくなりました。
(この頃には、朝に起きて日中は活動して夜は眠る生活が送れるようになっていました。)

高校には殆ど出席できませんでしたが、定期的な課題も提出でき、年に1回のスクーリング(*)も頑張って行けて、卒業もできました。
(入学式のときにできた友達に かなり支えてもらったそうです。)
(*) いつも通う校舎では行えない授業(体育など)を受けるために泊まりで遠征する。

高校を卒業後はコンビニなどでアルバイトをしました。派遣の仕事もしました。突発的な体調不良の時以外は休むことなく行けていて、とても安心しましたし、嬉しかったです。

しかしながら、メンタル不調からか OD多量の飲酒自傷行為をしたことがありました。1週間に何回も救急車を呼んだときもありました。
夜間救急で「アセトアミノフェンの摂取量が致死量を超えている」と聞いたときは、本当に生きた心地がしなかったです。
娘に聞けば、どうしたら良いのかが自分でも良く分からないほど辛かったらしいです。

その後、精神科への措置入院も約2ヶ月、させました。何とかして娘を守るために、安全な環境で過ごして欲しい気持ちと、精神的な治療を受けさせたい思いでした。

退院から半年ほど後に、韓国への語学留学をしました。
中学校入学当初にKPOPアイドルが好きになったことを機に、韓国や韓国語が好きになり、独学で勉強してTOPIK(韓国語能力試験)で最上級の6級を取得しました。


テキストと合格証書(写真は5級ですが6級を持っています。)


語学留学後は正社員で働く意欲が湧いて、中部国際空港(セントレア)でグランドハンドリングの職に就きました。一人暮らしも始めました。
旅客機の誘導、乗客の荷物の積み下ろし、機内清掃などを頑張っています。

グランドハンドリングの仕事の一部(旅客機の誘導)


今は育休中です。
この2月に結婚して、9月に男児を出産したからです。おめでとう、よく頑張ったね。

最愛の男性と結ばれました。


琥珀くん


色々と大変なこともありましたが、よく乗り越えてくれたと思います。
親として、できる限りのことをしてやったつもりですが、辛いことがあった分、これからは もっともっと幸せになって欲しいと願うばかりです。

娘へ
中学、高校と、めちゃめちゃ楽しい時間を過ごすハズだったのに、辛い思いをたくさんしたね。
これからは、母としても、妻としても、もちろん一人の女性としても、ずっと輝き続けてください。  父

以上です。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

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