天職と呼べるものはないけれど(#天職だと感じた瞬間)
はじめに
「天職だと感じた瞬間」というお題を見て、私は「そう呼べるものはない」と真っ先に思った。そんな私がこのお題を書くのは恐縮だ。
いや、私は看護師、語学、IT系の資格など色々な資格を取って来た。だがどれも長続きはしなかった。
そんな私が一つ誇れること、それは書くことだ。一つの文章を完成させるという責任、奥深さを感じている。
天職はない、と言える私が「これが天職か」と少しだけ思えた体験、私が感じた書くことの魅力、今回はそのことを書いてみたい。
舞台脚本を書き上げて
私は昨年の秋より舞台の脚本を執筆し、現在noteにて連載をしている。
執筆はただ楽しかった。書く中で構成、キャラクター設定、セリフの順序などを試行錯誤して学んだ。
次の長編も書きたいが、一からストーリーを作るのは難しい。
自分に限界を感じる中、一冊の本に衝撃が走った。それはドラマ「北の国から」「やすらぎの郷」の脚本で有名な倉本聰さんの「脚本力」(幻冬舎新書)。倉本さんは現在87歳。
地道な準備
倉本さんはドラマの制作に2ヶ月掛かるとして、実際の執筆はそのうち7日程だと言われる。
それ以外は?と言えば、ストーリーの作成に15日、登場人物の造形に30日掛かるという。
ストーリーについては、場面の展開を書き留めた「ハコ書き」と呼ばれるものを大バコ、中バコ、小バコ、と3段階作る。段階を追ううちに実際の脚本に近づいていく。
人物の造形については、登場人物が生まれてからの履歴書を書く。加えて、登場人物が生活する自宅、職場の周辺の地図を書くという。
倉本さんはこれらの人物造形を物語の「苗床」と言われる。人物の背景を作り込み、そこから深みのある物語という実りがあるのだ。
なぜそこまで?
倉本さんがなぜそこまでの準備をされるのか、想像を巡らせてみた。
一つだけ分かったこと、それは最高のセリフに出会うため、ということ。
絶妙なセリフは脚本家が思い付くのではなく、登場人物が自然と言っているように思える時がある。
だがそのお膳立てを十分にし、舞台を作ってこそ生きたセリフに出会える。それは何物にも代え難い。その経験がここまでの準備へと駆り立てるのだろう。
倉本さんの創作へと向かう動機を熟考した時に、自分が向かうべき「天職」とは何か、少し見えて来た。
おわりに
天職と呼べるものなど一つもない、と嘆き続けた人生だった。
だが今の私が「天職」を手にする苗床は植えられている。
ならば「天職」から実りを生み出すために、その苗床を大きく育てる地道な準備をしなければならない。
自分もまだまだ、齢90近くの倉本さんを思い、そう感じた。
音楽劇「君の名は希望」を最初から読む
これまでの連載を読む
この記事が参加している募集
よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは次回作の取材など新たな創作のために使わせていただきます!