映画鑑賞・フィンランド映画『365日のシンプルライフ』
最近、北欧映画に興味関心があります。
先に観た『ロッタちゃんシリーズ』につづき、私の部屋にある大スクリーンにて、Amazonプライムで配信されているフィンランド映画を観ました。
タイトルは『365日のシンプルライフ』という、2013年に本国フィンランドで公開された映画です。
もう10年前の映画なので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
今回は、この映画を観て、その感想と考えたことを、メモのように綴っていこうと思います。
この映画は、トータルで107分あり、映画としては長くもなく短くもなく、私にとっては、ちょうどいい尺だったと思います。そんなに長すぎても集中できないからね。
まあそれはさておき。
この映画のあらすじを3行にまとめると、
といった感じになります。
序盤のシーンは、まるでスッカラカンになった部屋の中で「素っ裸」の主人公が寒がっているところから始まるのですが、そのシーンにおける主人公は、パンツすら履いていません! 本当に「素っ裸」なのです。
もちろん、画面全体が暗く映っていたので、幸いにも肝心なところは見えなかったのですが、ただでさえフィンランドの冬は寒く、画面からいかにも寒そうでひもじそうなのが伝わってきました。
正直に申し上げますと、のっけから徹底していて、そこまでするかとは思いましたが。
ここで全くのゼロ状態から、1枚のコートを引っ張り出してくるのですが、そのトランクルームまでの移動がこれまた大胆で、なんと外のゴミ箱から新聞紙を取り出し、それで大事なところを隠しながら雪深い夜道を走っているのです。
側から見ると、すごく滑稽なシーンですが、本人の真剣さが伝わってくるシーンでした。
物語は、全編を通じ、主人公が日々の「実験」を、映像として記録している、という設定で、いちいちノートに「一日に取り出したモノリスト」を記録しているシーンが何回も登場しています。
他には、1年間、何も物を買わないとも宣言しています(食料品等は購入しているとは思うが)。
私も今、引きこもり状態で、家から一歩も出ていないという点は異なるものの(この映画の主人公は、普通に外出しているし、なんなら働きに出ている)、やはりモノに溢れかえっていて、本当に必要なモノがなんなのかわからなくなりがちなところは共通しています。
このシーンは、紙に逐一記録することによって、改めて自分を客観視しているという点で、自分にとって印象に残ったうちの一つでもあります。
また、最初のうち主人公は、「1日に1つずつ必要なモノを取り出す感動が1年続くと思った」と述べています。
ですが、本編中盤くらいに差し掛かると、やはり、それだけでは飽き足らなくなってきて、それは何だろう、と思っているのですが、この答えとして「人付き合い」特に彼女を作ることだということに彼は気づく。
もちろん、このことが私にすぐに当てはまるということは言えませんが、だかが1年と思うけれど、されど1年は長いという事実を感じさせます。
この映画でも、1年前の冬はまるでゼロの状態だったのが、1年後には本当に自分にとって必要最低限生活できるモノの数が把握できるようになることに加え、彼女までいるのですから、やはり、365日まともに続けていければ、それは大したものなのだ、ということに気付かされます。
さらに、この映画を見る上のキーワードとして「冷蔵庫」がセリフ・実物問わず頻繁に登場します。
祖母や母親は、「冷蔵庫は最も重要なモノ」と語っていて、事実その存在は単に食料を保存するだけにとどまらず、主人公と彼女を「つなぐ」ものでもあるように描かれています。
この辺の件が、一見シンプルであるのだけども、実に奥深いです。
そして、全編を通して観た上で改めて考えるのは、実生活を豊かにするのは、実はモノがいかに多いかとか、いかに知識・教養があるかとかではなく、やっぱり人とのつながり、それからそこから交わる絆のようなものが大切なのではないかということです。
もちろん、モノや知識・教養を貶めているのではありません。
そういうことではなく、現代という時代は、単に物質が多ければ豊かになるという「モノ消費」の価値観から、体験やら経験やらの蓄積を重視する「コト消費」の価値観へと、重視するポイントが変化している。
その延長線で見ていけば、この映画は人の心を満たすのは必ずしもモノばかりではないということを教えてくれているんだということを考えました。
私は、この主人公のように、ストイックに物を減らすのは難しいけれども、できる範囲で、本当に必要なモノを取捨選択していくつもりです。