ピカソのゲルニカが呼び起こすもの 〜原田マハ「暗幕のゲルニカ」を読んで〜
原田マハ作「暗幕のゲルニカ」を読んだ。果たしてアートの力で争いの世界を終わらせることができるか?平和につなげることができるか? ニューヨークMoMA(ニューヨーク近代美術館)のキュレーターである八神遥子が、「ピカソの戦争」という企画に、門外不出とされるスペインのマドリードの美術館ソフィアに在るピカソの代表作「ゲルニカ」をアメリカへ持って来るという絶対に不可能な挑戦の中で、ゲルニカが生み出された過去と、未だ争いの絶えない現代とを交互に描き出した物語である。
9.11の同時多発テロで最愛の夫を亡くした遥子にとって、アフガン空爆やイラク戦争などテロとの戦いに向かおうとする当時のアメリカ政府への提言、世界への発信のために、ピカソが残した反戦の象徴であり、戦争のために流浪しなければならなかったゲルニカを、世界が注目するMoMAの企画展に持ち込もうとする。ピカソの愛人であるドラ・マールの目から描く1937年から45年のパリとパブロ・ピカソという人物、そして遥子の行動を描く9.11から2年後の2003年のニューヨーク、マドリードを舞台として、ゲルニカをめぐり時空を超えた物語が展開されて行く。
「ゲルニカ」は、1937年に天才画家パブロ・ピカソによって、当時のパリ万博スペイン館の展示用に描かれたものである。それまで政治思想を持たなかったピカソが、スペインの一地方都市であるゲルニカをフランコ将軍の反乱軍とナチスが共同で激しい空爆を行い、多くの罪もない市民が殺戮された悲劇への怒りとして描いたと言われている。パリ万博で展示された後、これから起こるヨーロッパの戦火を逃れ、ナチスなどファッショ政権に蹂躙されないよう、ピカソの元をも離れ、アメリカのMoMAで長年にわたって守られて来た。故郷スペインに戻されたのは、フランコの独裁政権がなくなり、ピカソも亡くなった40年近くも経ったあと、民主主義国家になってからである。
私が初めてこの作品の存在を知ったのは中学生の頃だったか。絵画というより子供の作品のように感じた。しかし、どこの国のどんな戦いを表しているかは分からなかったが、反戦を強く訴える作品であることは十分に理解できた。倒れた兵士や苦しむ女性、死んだ子供、そして苦しさ悲しさに雄叫びを上げる動物たち。生命ある全てのものが苦しんでいるように見えた。
作中、ピカソがパリ万博のスペイン館に飾られた「ゲルニカ」の前でドイツの駐在武官に「この絵を描いたのは貴様か?」と問われるシーンがある。ピカソを答える。「いいや、この絵の作者はあんたたちだ」。最も心に残った言葉である。
作家、原田マハの小説を通して、ドラ・マールと八神遥子により、語り描かれる「ゲルニカ」の運命を追体験し、私の心はふつふつとした感動の中にある。
さて、ソフィアに保管される「ゲルニカ」は今の世界を見てどう思うか?当時とは違う民主化の行き渡った素晴らしい世界と見るか? それとも、、、。残念ながら第二次世界大戦が終わり、東西冷戦が終わって数十年経っても世界のどこかで戦火は絶えない。ゲルニカが訴える悲痛の叫びは未だにどこかからか聞こえてきそうだ。
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