ケチではなく丁寧な暮らし
偏った器用さがある私なので、絵は描けても料理は出来ても(お菓子は作れても)繕いものは苦手だったりします。
学生時分は勉強のために自分で雑巾とか縫わされたものですが、ぼろ布一歩手前の雑巾とか学校で使ってました。
子供が小学校低学年の時は、私が縫ったものは雑巾とみなされず置いて行かれたこともあり、それからは100均の既成の雑巾を持たせるようになりました。
母が縫物が得意(和裁と洋裁を習っていた)こともあり、特に私が人並み以下のスキルしかないために、結婚して息子たちが生まれても縫物関係は大体母へ外注に出しておりました。
手仕事は昔母親の仕事で、世の女性たち(専業兼業問わず主婦たち)は担ってきたことなのですが、素質もやる気も無いためきっと周りは呆れている事でしょう。
それはともかくとしても、細やかな手仕事には憧れます。
お友達が先日Facebookで書いていたのですが、靴下を直して使っている。と言われて、ご本人は
「ケチ臭いから笑われるだろう」と思われていたようですが
逆に丁寧で豊かな人だと賞賛していたら驚かれました。
人口も資源も飽和状態の今、新しいものをどんどん生み出すような生活は違うような気がしています。そう思っているのは、私だけじゃないと思うんですけどね。
例えば洋服じゃなくても家具やらを補修して使ったり、古い家屋をリフォームしたりと資源を大切にするという事が、大事にされてきている気がします。
縫物じゃなくても、物事の構造を知って、大事に修復しながら過ごすのは豊かだと思うので、ケチだと思わずに誇りに思って過ごしてほしいなと思うのでした。