【反省】一発も当ててない人間が一発屋を馬鹿にしてもいいものか?
去年に上のような記事を書いていました。
割と読んでいただけている記事ですが、ちょっとカッコつけすぎてない?と思ったりしています。
というのも、最近モーニングページを始めて本音をダダダッと書きなぐっていたところ、自分の小説がちゃんと世に通じるか知りたい確認したいと思っていることが分かったからです。
綺麗事を書いていると気づけない事柄に気づけるのもモーニングページのいいところ。
そんな中note創作大賞募集の記事が公開されましたね。すごい勢いで公募作品もたまっていってるようです。私も応募する気満々ですが(今のところエッセイだけ応募してます)なぜそう思ったかというと、やはりいろんな人に私のお話を読んでもらうキッカケづくりには、公募が一番だから。
思い起こせば一番最初に小説同人誌にした作品である「ダリヤ化粧品店」も、公募に出したからこそ磨かれて(公募に出した後本にする前にもさらに推敲を重ねましたが)スタート時点ではコピー本(初期から80冊作って、嫌になったので今は印刷所さんに依頼している)だったにしてはたくさんの人に読んでいただいている。
表紙が渾身の水彩画というのも大きいと思うが(私が装丁フェチなのでキレイな本を作ればたくさん頒布できるだろうと考えて、なるべくダリヤの花が映えるような表紙をイメージして描いたイラストを採用した)それにしても素人の一次創作にしてはよく売れたほうだと思う。その時の話は下記のnoteに書いているので興味あればどうぞ。
なんだか話がそれたけど、書いた作品を磨くために公募に出してみるのと、ただ単にイベントに出るために同人誌を作るより、構成や賞の目的、誰に向けて書くのか?情景がしっかり浮かぶか?矛盾はないか?をよりじっくりとチェックできる気がしている。もちろん公募に出さずともしっかりチェックできる人はいると思うのだけど、ちょっと緊張感が違うのです。
出して落選しても後悔の無いように……と思うからこそかもしれないけれど。
で、タイトルの件なのですが、最近うちの息子たちは「美味しんぼ」という漫画にハマっています。タイトル曲も覚えているくらい懐かしい漫画です。大体のラーメン屋にはおいてあるイメージ。
それを聞いているうちに、友人が美味しんぼのエンディングテーマを歌ってた方にボイストレーニングを習っていたことを思い出しました。一度だけでしたがタワマンの一室でボーカルトレーニングを受ける彼女に、なぜか付き添わされていった記憶。(ほんとになんで呼ばれたんだろう?私は一度も行きたいと言ったことがないのに誘われた。月謝を払ってもいない人を連れてこられて先生も迷惑だったと思う)
で、当時は「この先生、歌はもちろんうまいし実力もあるけど、微妙なヒットを代表作として生徒さんを募ってるんだなあ」とちょっと批判的な目で(何なら馬鹿にしていた)見ていたんですよね。
良いところに住んでるけど、それはこうやって実になるかわからないような子(微妙な才能の子)に甘いこと言って、高い月謝取って稼いでるんじゃないの?とかちょっとひどいことを考えてました。
実際そういう先生はいると思うし。今思えばその先生も私のその気持ちに気が付いていたんだろうなと思います。こちらとしては勝手に押しかけておまけに批判的な目で見ていて、罪悪感もあるうえで微妙なんて思ってしまっていて申し訳ない気持ちです。
ただーー今考えてみると、その代表曲はみんなが知っているアニメのエンディングなのです。さすがに「誰もが一度は聞いたことがあるレベル」(まるこちゃんとかサザエさんとか)ではなかったとしても、そこそこ人気のアニメのエンディングなんてよく考えたらすごいわけで。少なくとも、何も成し遂げてない私に馬鹿にされていい人ではないことは確か。
その先生はコツコツ仕事をされてきて、しかもそれなりの実績がある。それをアピールするのの何が悪いの??って話です。
その先生が一発屋かどうかと言われたら、微妙なお話にはなると思いますが、公的な実績があるのは確か。
実績を作って自分の作品を広めたいという私には、むしろモデルケースじゃないか!
そう気づいたので、実績を作ることに目を向けて頑張るとか、文章で生きていくために(文章で必要とされるために)努力することに目を向けることにしました。単純とは思いますが、一発屋を目指さないと二発も三発も当てられないのです。スタート地点に立つ努力を、まずはしてみる。
で、努力した後で、そこから自分の正解を探していきます。人を馬鹿にしてもいいことはありません。他人にケチ付ける前に努力だ!
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